笑顔のお別れの会

父は死ぬ三日前、つまり「シュンポシオン横浜」の翌日ですが、葬式に読経などいらないという趣旨のことを私に言いました。我が家は浄土宗の家系ですが、父は普通に信心深いというのでしょうか、葬式仏教の世界で一生を過ごしてきた人間ですから、そんな親父にしては思い切ったことをいうなとは思いましたが、そのときには本当の葬式はまだ少しは先だと信じていましたので、話半分で相づちを打ったのでした。

ところが同じことは母親や弟とも、12月初めの時点でむしろもう少しきちんと話をしていたようでした。そこで当人が天国に召されたとき、我々三人の家族は即断で読経も、戒名も、お坊さんもない葬式というか、お別れの会を企画することを決め、実行しました。葬式はほんの身内20人以下で行い、会社からの花輪なども丁重にお断りさせていただきました。

しかし、親戚からの評判はよくなかったですね。面と向かって「かわいそう」「せめて枕経ぐらい」といった言葉をかけられたり、首をかしげられたり。中には葬式が終わってから「自分が戒名を作ってあげたから」と母に押し売りに来る者がいたり。でも皆好意でそうしてくれているのはよく分かりました。

私は近親者が集まって故人の話で盛り上がったとてもよい葬式だったと思いました。母も同意見ですし、妻は「私もこういうお葬式がいい」と言ってくれました。祭壇に飾った、私が3年ほど前に撮り、弟がフォトショップできれいに修正をしてくれた笑顔の遺影は皆が喜んでくれました。

慣習から外れるのは簡単ではないとあらためて感じた葬式でした。同時に慣習から外れるのは簡単なことだとも思いました。やってしまえばいいのです。こちらにきちんと意図するものがあれば、それを汲んでくれる人はいる。数は少ないかも知れませんが、一部にはきっといると信じることができれば躊躇することはありません。あとはぶれないこと。同じスタンスを継続すること。言い訳をしないこと。そうした気構えで発信したメッセージに共感してくれる同士を見つけて、シュンポシオンを開催すること。最後は冗談なのか、マジなのか分からないエントリーになりました。