内と外

このブログには「内と外」というカテゴリーがある。最近はあまりにその手の話が多いので、このカテゴリーを付けるのをためらうというか、とりたててカテゴリーとして置いておかなくてもいいと思う気持ちの方が強い。それほどに僕自身の生きていく上でのテーマは、日本の国にはびこる内と外の感覚をどうにかしたいということにあると言ってしまっても良いかもしれない。

今朝、あるコーヒーショップで時間をつぶしている際に、店員の女性にサーブされているお客さんを見ていて改めて思った。中年の客も、若者も、「ごゆっくりどうぞ」という接客上の決まり文句に判で押したように仏頂面で接するのを目の当たりにし、むしろ“内と外”の感覚はますますひどくなっていると暗澹たる気持ちになった。他人に対して仏頂面、仲間に対してにこにこ顔。つまり他人に対する接し方を知らない、子供っぽい文化が我々の社会をきれいに覆っている。僕は、梅田望夫さんのtwitter上での失言(まあ、日本のWeb文化を前提にして考えれば、たぶん失言と言っていい類のものだと思う。僕は梅田さんのそういう脇の甘いところにとても人間味を感じて好きだ)に対して、勝てば官軍の勢いそのままに匿名で得意満面の批判をしたり、うんちくを披瀝するするような奴とは友達にはなれない(ちなみにハンドルネームは匿名ではないという御仁がこの界隈にもいるが、僕は決してそうは思わない。人の批判をするのであれば実名で出てこいと言いたい)。

僕が勤めている会社で作った『失われた場を探して』という書籍について、先日このブログで書かせていただき、その中で“ウィークタイズ”というコンセプトをちらとご紹介させていただいた。つまるところ僕がしたいのは、このウィークタイズを大切にする文化を少しでも日本に根付かせたいということかもしれない。つまり他人を認め、他人とつながることを大切にする文化、自分とは違う者を違うというだけで排除しないという思想を自分が生きている間に少しでも、自分が見知った若い方たちに対して広めたいという思いである。実は始めた当初はそんな意識はほとんどなかったのだけれど、「シュンポシオン横浜」は、そうした思想の実践なのだろうと今は自覚している。この方面に関しては、僕よりも一世代若い金城さんのような人が先生として身近にいる。群れるのが嫌い、「会」が大嫌いと放言してはばからなかった奴が主催する会が続くかどうかは神のみぞ知る。しかし、地味に20人、30人の集まりでいいから、いまは出来れば継続して続けていきたいと、そんな気分になっている。もし、支えていただける方がいれば、ぜひご厚情を賜りたいと、お願いしたい気持ちでいっぱいである。

シュンポシオン横浜」まであと6日。