ブログを楽しみのためではなくやるとしたら

ニューヨーク・タイムズが掲載したブロガーの現状をめぐる記事を読んで、彼の地のブログ事情に驚いた。僕はアメリカのブログはいくつかをときどき目にする程度で、ほとんどその状況を知らないに等しいので、とても勉強になった。いやはや、すさまじい話が書いてある。

■In Web World of 24/7 Stress, Writers Blog Till They Drop (New York Times 2008年4月6日)

日本とアメリカではブログという技術的な仕組みを使いながら、世に出てくるものはかなり異なるようで、ニューヨーク・タイムズには「なかには楽しみのために書いている者もいるが、ほとんどは出版社の社員になったり、契約を結んだりして仕事として書いている」と書かれている。どうりで、その手のプロが情報を紹介するタイプのブログが多いはずだと初めて合点がいった。アメリカではブログを生活の糧にして生きている人たちがたくさんいるのだ。

この記事は、投稿辺りいくら、場合によってはクリック辺りいくらといった出来高制の下で生活をしているために、常に仕事に追いまくられ健康を壊すブロガーが少なくないことを紹介する。要はクリック数の競争であるために何よりも情報の早さ、鮮度が求められるようになり、寝る暇を惜しんで常に鵜の目鷹の目で情報を追っている必要が出てきてしまうというのである。記事ではもっとも競争が激しいのがIT系のブログだとされている。

高額収入を得るためにはスピードがもっともものを言うという話を読むと、なるほどねと思う部分と、そうなんだと思う部分とがある。タイムズが言っているのは、他のブログよりも早くニュースを伝える速報性が読者獲得の要素として非常に大きいということなのだが、そこで日本に住まう僕が連想するのはブログではなくて、新聞、それも一昔前の新聞のイメージだ。スクープこそ命で、抜く、抜かれるという熾烈な競争を争っている時代の新聞である。現在は、そうした速報性を売り物にしていたかつての新聞のイメージは希薄になってしまったので、若い方にはぴんとこない向きもあるかもしれないが、速報の機能がテレビへ、さらにインターネットへと移ることによって、彼の地ではブロガーが夜討ち朝駆けではないが、世界のあちこちで発表される電子的なメッセージの捕捉競争に血まなこになっているというわけなのである。

つまりアメリカではブログは昔ながらのジャーナリズムの血を引き、ある意味でジャーナリズムの最前線になっているということであるらしい。これは、僕の理解している日本のブログの姿とはまるっきり異なっている。そこで、仕事としての、ジャーナリズムの端っこにぶらさがるブログ書き生活に思いをめぐらしてみる。ニューヨーク・タイムズが聞いてきた話では、大きいサイトで書いている人は年収3万ドルぐらい。稼ぐ人だと7万ドルをくだらない人もいるという。東京で、これだけの収入で暮らしていくのは少し窮屈である。しかし、フリーのライターだと思えば、理解できる妥当な線ではある。だから、職業としては、フリーライターの変種だと思えば、それほど大きな間違いはないのではないか。それらの職業を選ぶかどうかという選択肢になるのだと理解すればいい。だとすれば、日本の場合、雑誌で儲けている出版社がどうしてウェブ上で同じような収入モデルを作ることができないのだろうか。日経BP社がその道の著名人を集めてコラムを書かせているが、あれがアメリカのブログのイメージに近いようである。日本には書き手がいない? いや、そんなことはないはず。

元締めならトライしてもいいかもしれないと少しは思うが、雇われる側に回るのはちょっと気が重い。僕のブログ生活はあくまで楽しみのため。稼ぐためのブログを考え始めたら、まったく別のコンセプトで、それこそ24時間戦う気概が必要になってくるだろう。それに比べると現在のこのブログは、数限られたお客さんと和気藹々の雰囲気で小遣い稼ぎ程度の商売をしている町はずれのバーといったところである。