大江健三郎のユーモア


大江健三郎著『あいまいな日本の私』(岩波新書)を読んでいるところ。表題は、よく知られているノーベル文学賞の受賞講演からとられたものだ。僕は当時の報道で接した程度で、ちゃんとテキストを読んだことがなかったので、初めての読書である。この講演録自体は、最初の17ページに過ぎず、本書の残りのページには7編の、やはり講演をもとにした文章が収められている。

そこで自分にとっては思いがけなかった文章を読んだ。かつて、ただの一度聴いたことがある大江さんの講演の様子が活字になっていたのだ。タイトルは「新しい光の音楽と深まりについて」。障害を持ちながら作曲をなさる、長男・光(ひかり)さんの音楽をめぐる内容だった。
本書に記載されている情報によれば、行われたのは1994年の10月6日あるいは16日の何れか。テキストは僕が聴いた鎌倉芸術館での講演と、サントリーホールで行われた講演とから採用されている。だから、僕が当時聴いたものとはまったく同じではないはずだが、記憶の外側にこぼれてしまっていた内容が、ところどころ思い起こされる。14年前のこの日について断片的にしか覚えていなかった僕だが、このときの自分にとっての印象を基に、このブログに大江さんを批判するテキストを書いたことがある。奥付を見ると、本書の初版は1995年1月。あの講演の直後、神戸の大震災があった月だ。

■村上春樹と大江健三郎(2006年11月9日)


不思議なもので、繰り返してテキストを目でなぞるうちに、そのときの鎌倉芸術館の様子が思い起こされる感覚が生まれてきた。ある部分は錯覚、ご都合主義的に脳が思い出を作っているのかもしれないが、「そう言えば」と感じる部分が少なからずある。あのときの、大江さんの語り口のうまさを14年を隔てて突然思い出すことがあるなどとは思いもよらなかったことだ。

大江さんの言葉を、当時の僕がよい聴衆として聞き取っていたかと言えば、そうではないと思う。正直なところ、こうして活字になった文章を読んで、それが14年後だった偶然によって理解できたものも多いように感じている。とても素晴らしい講演だといまは率直に感じる。

一方、覚えていること、岩波新書を読んではっきりと思い出したこともいくつかある。それは大江さんのユーモアあふれる語り口についてだ。講演の前半、会場は何度か爆笑に包まれた。それは、実に見事に計算された、喜劇俳優の演技のような語りであり、その明るい哄笑と、後半の瞑想を誘うような時間とのくっきりとした対比が印象的だった。そのユーモアは、ここのところ読んでいる最近の作品にも遺憾なく発揮され、ところどころに茶目っ気たっぷりの記述が見て取れる。もっとも、それを「これは大江のユーモアだ」と受け取るには、少なからず彼の作品になじんで、彼の自己言及癖を知識として持っていないと難しいようにも書かれているので、誰もが見つけるのは難しいかもしれないが。

話を戻し、1994年の講演のテキストの中から、「爆笑」を誘った語りを引用させていただきたい。

ところが知的な発達に障害がある、そういう子供が夢を見ないことわかると、かれの情緒にも何か大切なものが欠けているのではないかという気がしてきます。私も家内も、それぞれに心配してきました。私どもはかれに夢というものを教えようともしたわけなのです。とくに私は、一時期、それを熱心にやりました。
光のことをプーちゃんと呼んでいるのですが、いろいろ話しかけたものです。「プーちゃん、夜のお薬を飲んでベッドに入るでしょ。それからFMを聞いて、しばらくたつと眠るねえ。そして、気がついてみると、ベッドの横にカンガルーが坐っていてさ。そのカンガルーが前脚で、ベッドのこちら側の、きみの右足をこんなふうに持って、匂いを嗅いだりしていないかい? それが夢ですよ」といったりもしました(笑)。
光は不機嫌になりまして、こう、端的に横を向いている。それでもやり始めたことですからね、「どう思う、どう思う?」と何度も聞きましたら、「このあたりには、カンガルーはいないと思います」(笑)。ほぼこのように、夢と光とは相容れないのでした。私も家内もとうとう断念して、寂しい気持ちでいたように思います。
(「新しい光の音楽と深まりについて」より)

この「プーちゃん、夜のお薬を飲んでベッドに入るでしょ」のところ。大江さんは本当に息子さんに語りかける様子を誠実に再現するように、やさしい声色の語りをされたのが印象的だった。そのことを本書を読んで、たちまちに思い出した。テキストで「(笑)」となっているところだが、カンガルーに足の匂いを嗅がせる大江さんの、豊かすぎるイマジネーションがおかしくて笑い出し、つぎの光さんの反応では会場全体が爆笑だったと覚えている。


あいまいな日本の私 (岩波新書)

あいまいな日本の私 (岩波新書)