痛ましさと励ましと

たなかしげるさんとは前の会社に転職してまだ日の浅い頃に知り合った。僕はその頃から所属する事業本部の社内広報誌の編集を担当しており、たなかさんは全社スタッフとして社内情報共有を促進するチームの中核メンバーだった。ある日、本社から現在の取り組みについてヒアリングをしたいと連絡があり、僕は初めて30代半ばのたなかさんに会った。

それを契機にしてときどき意見交換をする機会を積み重ねるうちに、たなかさんが、いわゆる“ナレッジマネジメント”の世界では名の知られたエキスパートであることを知った。提示しされる資料の質の高さやつぼを押さえた無駄のない話しぶりに驚かされていた身としては、「なるほどね」「やっぱりね」と思うばかりだった。次にお会いしたときに訊いてみると、ミスター・ナレッジマネジメント野中郁次郎先生とお知り合いだったり、この分野のキーパーソンと相当な人脈もお持ちである。著作もいくつかある。僕は生まれて初めて大企業に勤めた率直な印象は「すごい人がたくさんいるなあ」ということに尽きるのだが、たなかさんもやはりそうした「すごい人」の典型例だった。

ただ、仕事ができる人は他にもいた中で、たなかさんが僕の印象にひっかかったのは、人と接する仕方にどこか平均的な同僚とは異なる部分があったからだ。それが何かと言えば、簡単に言えば彼がとても腰の低い人物であったことにあった。その腰の低さの中に人としての純粋な心根の優しさがはっきりと見えると同時に、自身の置かれた状況の中で期待されている役回りを意識してきちんと演じている人物に感じられる部分があり、そこが何とはなしに気になっていた。数度お会いするうちに、この人はどんな人なんだろうとあらためて思った。

謎が一挙に解けた気分にさせられたのは、僕が手がけていたイントラネット上の社内報でたなかさんのインタビュー記事を掲載したときだった。社会に向けて情報発信をしているキーパーソン数人を選んで紹介する連載記事をつくったときにたなかさんがその一人に選ばれた。部下が行ったインタビューの原稿を見たときに僕は内心かなり驚いたのではないかと思う。驚いたと同時に「なるほどねえ」と思ったはずだ。たなかさんはナレッジマネジメントの権威であると同時に詩人でもあったのだ。

僕の感性と知識で詩について語ることは到底できない。アマゾンの「なか見!検索」でたなかさんの若い頃の詩集『虹のまわりを一周半』からその一部を読むことができる。ご興味のある方はぜひ覗いていただければと思う。

たなかさんから年末、僕が職場を去る日に彼の詩集を頂いた。本人がそうしてもらえたらと言ってくれたように、ランダムにページを開いて拾い読みをする読書を正月明けからぽつぽつと続けている。少し辛くなる。彼のビジネスマンとしての日常を少しは知っている身としては、詩集に活字として定着しているむき出しの繊細さと、彼に要請されている仕事のコントラストがまざまざと感じられ、正直言って痛ましさを感じてしまうのである。彼はいわゆる“猛烈サラリーマン"である。何事にも真正面から向き合わないと気が済まないタイプの人なのだ。それもたたって(と言ってよいだろう)、大病を患ってしまい現在も回復に向けて慣らし運転をなさっている。

ただ、僕個人にとっては、たなかさんのような人が同じ会社にいて、身を削りながら仕事に全身全霊を傾けている(そうでなくして、どうして社会から認められるエキスパートになれるだろう)と同時に、物理的にはとても限られた時間をやりくりして詩作に向き合っているさまを想像するのは、大いなる救いであり、励ましだった。遅まきながら彼の詩にいま初めて接し、その想いはますます強まる。これを読んだ方の中にも、僕の想いを幾分なりとも共有してくださる方がいるに違いないと信じて今日の筆を置きたい。


■たなかしげる著『虹のまわりを一周半』(amazon「なか見!検索」)


詩集 虹のまわりを一周半

詩集 虹のまわりを一周半