仕事ができる人は

僕が勉強することに興味を覚えるようになったのは、所定の教育システムをなんとかやり過ごしたあと、いわゆる「社会人」になってからである。自分が興味を持つ領域のものごとを、自分にあったペースで、自分の好きな方法で追求していくと、知識や技術がきわめて効率よく身につくのだということがわかった。(p55)

「好きを貫く」ことを若者に訴える梅田望夫著『ウェブ時代をゆく』の一節だ。梅田さんが人生で獲得した知見が肩の力を抜いた文体でくっきりと表現されている。さすがである。というのは真っ赤な嘘で、これは村上春樹著『走ることについて語るときに僕の語ること』からの引用である。昨日のエントリーで村上春樹梅田望夫がそれぞれの時代に果たした役回りは似ているという感想を書いたが、それとは別にこの二人は仕事への姿勢がとても似ている。村上春樹は、『風に歌を聴け』で群像の新人賞を取りしばらくしたのち、「好きを貫く」ためにそれまで経営してきたジャズ・クラブをたたみ、小説一本の生活に入る。例えば、そんなところがだ。

『走ることについて語るときに僕の語ること』の他の箇所から引いてみる。

才能の次に、小説家にとって何が重要な資質かと問われれば、迷うことなく集中力をあげる。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。これがなければ、大事なことは何も達成できない。
(『走ることについて語るときに僕の語ること』(p107))

集中力の次に必要なものは持続力だ。一日に三時間か四時間、意識を集中して執筆できたとしても、一週間続けたら疲れ果ててしまいましたというのでは、長い作品は書けない。日々の集中を、半年も一年も二年も継続し提示できる力が、小説家には−少なくとも長編小説を書くことを志す作家には−求められる。
(『走ることについて語るときに僕の語ること』(p108))

そして次は、今度は本当に梅田望夫の『ウェブ時代をゆく』から。

突き詰めて言えばそれは、戦略性と勤勉ということに行き着く。自分の指向性に正直になり「好き」を見つけるための努力をこつこつと続け、「好き」なことの組み合わせを見つけたら(創造的な組み合わせが見つかればサバイバルできる確率は高くなる)、面倒なことでも延々と続ける勤勉さと、それを面倒くさがらない持続力がカギを握る。
(『ウェブ時代をゆく』(p142))

他にもこの二人が性格的に似通っているところはいくつもある。例えば几帳面さ。
村上さんは、決められた量の仕事はきっちりとこなし、小説書きにありがちな締め切りを遅れるようなことは決してしないと以前エッセイに書いていた。それどころか、多くの場合締め切りの来る前に原稿を仕上げて担当の編集者に渡すと言う。梅田さんはたしかご自身のブログに書いていた話だと思うが、昨年東京で講演をした際に、遅れないように1時間前には講演会場の近くに到着して時間を潰していたという。

こういう話を怠惰の塊である僕のような人間が書くのは、それ自体とても恥ずかしいことだ。恥を覚悟で二つの読書から得た知見をご紹介する次第である。しかし、ここで二人が語っている内容は、いわゆる「できる」人にはかなり共通して発見できる属性だと思う。僕の友人に、ある国際機関の中枢で、上級職員として生き馬の目を抜くような生活を90年代の初頭から続けているNというのがいる。このブログもアメリカで読んでくれており、ときどきコメントをくれる。高校時代に僕に開高健を吹き込んだのはこいつだが、彼も村上さんや梅田さんとまったく同じ。勤勉で、威張らず、泣き言を言わない。仕事が速い。そして自分の進む道に対してずっとまっすぐ。
こんなことを書いていたら、どんどん自分が恥ずかしくなってきた。穴があったら入りたい。今日はこれでおしまい。