日曜の午前中

NHK衛星放送でロジャー・クレメンスが投げるのを見ながら、これを書いている。ニューヨークで野球シーズンを4回過ごしたが、球場に足を運んだのはヤンキースタジアムとシェイスアジアムに一回ずつだけだ。そのただ一度だけ見たヤンキース戦でクレメンスが投げていた。聞きしにまさるとはあのことで、クレメンスの投球は想像を超える速さだった。3階の内野席2列目、バッテリーを真横に見る場所から見下ろしていたのだが、同じ人間が投げる球があんな風にまっすぐと目にもとまらぬ速さで飛ぶものか。圧倒的な力感。野球を見て、あのときほど驚いたことはなかった。


その日はタイガース戦で9回には半分敗戦処理のような役回りで木田が投げたが、彼のボールは人間の仕業の領域だった。帰国して子どもと見たオープン戦で見たベイスターズの斉藤(いまはドジャースで活躍している)の140キロ台後半の速球も遅く見えた。まだ、全盛時代の力があったクレメンスは威圧感の塊だった。


しかし、速いだけでは抑えられないのがメジャーのバッターで、日本から行った伊良部も速さはすごかったが、きれいにあわされてホームランを打たれる場面が印象に残った。イチ、ニのサンッという感じでジャストミートされたボールがスタンドに飛んでいく。日本なら絶対に打たれないような剛速球がだ。


これを書いているいま、松井が今シーズン19号のホームランを放った。外角よりのスライダーを日本人離れしたライナーで右翼に運ぶ。ヤンキースはこれでやっと3対1。スター選手を集めても、怪我人が増えればチームは思い通りに動かない。


mmpoloさんが、島崎今日子『この国で女であるということ』を取り上げて感想を書いている。よく書けた伝記は、例外なくその人の多面性があぶり出され、読者に多様な想像や判断を迫るものになっているような気がするので、mmpoloさんの感想には大いに頷きたくなった。


■島崎今日子「この国で女であるということ」(「mmpoloの日記」2007年7月29日)


最近、読んだ伝記としてはロバート・キャパのものが面白かった。
根無し草のハンガリー人で、アメリカ国籍を取り、戦争を取材し、シリアスな作品を残す一方で、無類の遊び好き、女好き。人に好かれ、写真家集団「マグナム」を設立するビジネスの才覚を持ちながら、金を貯めることはまったくできず……。文字通りのボヘミアン、そして天性のボヘミアンだったこの人物は、第二次世界大戦後、「写真はもうつまらない」といいながら、それ以外にできることがなかった。好きなことをやって生き、しかし満足をできずに何かを求めていた人。ちょっと憧れる人生の型を生きた人。


翻訳は沢木耕太郎。彼のエッセイを読んでいたら、この翻訳の話が書いてあり、手にしてみた次第。後書きの中で「素人の翻訳家」と卑下しているが、沢木の文章はキャパの人生をいきいきとした日本語に活写している。よい読書になった。



キャパ その死 (文春文庫)

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