僕が好きだったヘルマン・プライ

オーストリアの南部、アルプスに近いケルンテン州。その州都であるクラーゲンフルトの街からしばらく郊外へと向かった辺りに細長い湖、たしかオシアッハ湖という名前の湖があり、湖の名前の由来となっているオシアッハという名前の村がくっついている。他には自然以外になにもない片田舎の湖畔の教会で行われたコンサートを聴いた。ロンドン交響楽団のメンバーによるアンサンブルをクラウディオ・アバドが指揮し、ヘルマン・プライがバッハのカンタータを歌うプログラム。1980年のこと。生まれて初めて海外に出かけた貧乏旅行の最中のことだ。


コンサート前日の昼間に現地の民宿に到着し、時間もあるし会場を見てこようと出かけた。着いた教会では、ちょうど音楽家たちがリハーサルをやっているところだった。洩れてくる楽音を会場の外から楽しんでいると、そのうちに休み時間になり、楽員たちが三々五々教会から出てきて前庭のベンチの周囲で歓談を始めた。いくつか並んだベンチの一人に年配のおじさんがお茶を運んでいるので誰かとみれば人気指揮者のアバドだった。皆、小うるさい批評家に囲まれた都会のコンサート会場を抜け出てくつろいで音楽をしているという雰囲気だった。


そんな様子を写真に撮ったりしながら、楽員らと同じ空間で夏の避暑地のさわやかな空気を味わっていると、黒いセーターを着てサングラスをかけた大柄な男がどこからか現れた。ヘルマン・プライだった。もうよく覚えていないが、この不意の出会いに学生の僕はとても興奮したはずだ。生まれて初めてサインをもらうという行為をした。「東京で『冬の旅』を聴きました」 そう言ったら、プライは「トーキョーブンカカイカン?」と聞き返してきた。


ヘルマン・プライは大好きな歌手だった。美声で知られた20世紀後半を代表するバリトン歌手の一人。同時代のドイツの歌手としては理知的な解釈で大向こうを唸らせたディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウに対して、柔らかく甘い声と自然な歌い回しで大衆的な人気を獲得したのがプライである。オペラも歌えば、ドイツ・リートの歌手としても著名だった。「トーキョーブンカカイカン」は、もちろん上野の東京文化会館のことで、彼はそのこけら落としのシリーズに招かれて初めて日本で歌った経歴を持つ。そのことを僕自身が知ったのは随分後で、吉田秀和さんがその東京文化会館のリサイタル直後に書いた、「すごい新人が現れた」と報告する調子の、しかしプライの特質を冷静に語る時評を読んだときのことだ。彼はその時から何度か日本を訪れ、リサイタルを開いている。1980年のウィーン国立歌劇場来日公演のときにはカール・ベームの棒でフィガロを歌った。


本物のプライは、日本の貧乏学生の求めに応じて写真をとらせてくれ、サインをしてくれた。翌日、小さな教会の、固い木の椅子で聴いたコンサートでは、バッハの『我満ち足りて』と『我は喜びて十字架を担わん』の2曲が歌われた。この人はときに音程が下がるのも有名だったが、このときもその傾向はありありだった。そんな瑕疵も含めて素晴らしかった。


僕が次にプライを聴いたのは80年代後半の五反田だった。お得意の『冬の旅』。というか、日本のプロモーターはどうしても彼にこの曲を歌わせたかったのだろう。僕らもやはりプライの『冬の旅』を聴きたかった。しかし、大ホールでの歌唱、僕も仕事に追いまくられて忙しい頃だった。2階席の高みから見下ろすプライはやけに小さく、遠くで歌っているように感じられた。それからしばらく経って、もうベルリンの壁が崩れた後だったと思うけれど、N響若杉弘が演奏した『カルミナ・ブラーナ』も聴いた。ソリストルチア・ポップとプライというスターを連れてきたコンサートで、語るように歌うプライのうまさはさすがだった。


最後に聴いたのは、1998年のニューヨーク。シューベルトばかりを集めたリサイタルだった。その数年前にはメトロポリタン歌劇場で『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のベックメッサー役で出演しており、ニューヨークタイムズの評でも「さすがの歌い回し」と称えられていたので、まだまだ元気なのだろうと思っていた。『マイスタージンガー』のチケットを取れずに聞き逃したこともあり、この日は楽しみに出かけた。


しかし、舞台に現れたのは、「この人が?!」と一瞬自分の目を疑うようなおじいさんなのだ。髪の毛も眉毛も真っ白で、かつての堂々とした舞台での立ち姿とは似ても似つかぬ様子。虚をつかれた。年譜を見ると、70歳になるかならないか。老け込む年齢ではないような気がするが、声ももうかつての輝きは失われており、息が続かない。寂しいものがあった。なんといっても「永遠の青年」と形容された歌手だ。ただ、そんななか、歌曲集『白鳥の歌』の中から『別れ』を歌ったときだった。プライの声にかつてレコードで聴いていたみずみずしい声音の流れがはっきりと現れた。僕ははっとした。それと同時に、今まで「かつてヘルマン・プライであったおじいさん」であった彼の顔が変容して、そこにかつての「永遠の青年」の風貌がくっきりと見て取れたのだ。あれは不思議な体験だった。生の体験の素晴らしさだったと思う。ライヴの体験にオーラが宿るのは、必ずしもそれが客観的な物差しに照らして質が高いからではない。むしろ、その瑕疵ゆえにこそ、という部分も大いに含まれている。

そのプライはそれから半年後にこの世を去った。



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