初めてFlickrで遊んでみた

ネットのおかげで写真にはまりました。毎日のネット遊びの時間は、いま写真ブログとFlickr見物に入れ込んでおり、こちらの方に書き込みをする余裕があまりありません。フィルム現像に当たる事後の画面の調整とネットへのアップと、写真にはやってみるとなかなか手間のかかる部分があり、しばらくは『写真帳』のケアが遊びの中心になりそうです。

で、Flickrなのですが、実に面白いです。Flickrはご存知「フォークソノミー」の代名詞とでも言うべき超有名サービスですが、今まではちゃんと見たことも触ったこともありませんでした。かなり前に「ふーん、これがFlickerね」程度のチラ見はしていたのですが、当時は自ら写真ブログを開設するほど写真自体に思い入れがなかったので、感想はそれ以上でもそれ以下でもなく、要はよくわかっていなかったのです。

■Flickrへ


しかし、あらためてFlickrが代表するところの、インターネット空間に出没するアマチュアカメラマンの一員に自らを登録してみると、Flickrのすごさ、Web2.0のすごさ、大衆のパワーの凄さに圧倒される思いを一身に浴びるようです。その凄みに気圧される気分は、「深甚な」と形容したくなるほどで、画像は言語を越えて訴えかけるグローバル性を持っているだけに、そこからいろいろなことを考えさせられます。


まず感じるのは、画像は目が正常に機能しさえすれば、教養や知的訓練なしにどこの国の誰にでも受容・消費できるという事実です。素晴らしい写真は、どこまでも、誰にとっても素晴らしい。私が最初に目にしたのは青空に生える白銀のマッターホルンの神々しいまでの姿でした。この画像に接すれば、諸人こぞりてノックアウト間違いなしだと思いました。Flickrには「Explore」というボタンがあって、ここを押すと、その日に世界中から集められたご機嫌な作品が眺められます。世界の水準はすごい。私は久しぶりに梅田望夫さんの『ウェブ進化論』で語られていた「玉を見つける技術」という言葉を思い出しました。FlickrのExploreで探索できる写真はまさに玉だと言ってよいでしょう。


同時に、これを一週間やっていると、たった一週間だけでと言いなすべきかも知れませんが、ちょっとまてよという思いも抱くようになりました。時間がないので、今日はこれ以上言葉を重ねることができなくなりました。こうやっていつもこのブログでは尻切れトンボの感想文が溜まっていくのが困ったものですが、「限られた時間の中でコラムないし短いエッセイ風のものを書くトレーニングをする」というのが、このブログの私にとっての意味なので仕方ありません。ここで溜まった割り切れない思いはブログで昇華する類のものではないと、これも割り切っています。話が脱線しましたが、つまり、FlickrのExplore機能が「ちょっとまてよ」と思えるのは、似ている画が多いということでした。これってなんだろうと思い始めるのでした。どうも、インターネットのこういう空間は60年代から70年代の大衆社会論をもう一度持ち出したくなるような欲求に駆られる。そんな部分がものすごくあります。ブログをやり始めて庄司薫を読み返す気になったのも、どうやらそんな気分と地続きなのだと思います。


ほんとに時間切れになってしまいました。今日はここで失礼します。