もう一度、真空管アンプの音について


今日は外出を控えて体休めと決め込む。そこそこの好天は天気予報の言うとおり昼過ぎから黒雲に覆われはじめ、そうこうするうちに壮絶な音を立てて雨の柱が落ちてきた。雷雨は首都圏の電車があちこちで運休するほどの威力だったが、夕刻にはご覧のような光の束が戻ってくる。


グーグルやヤフーから「SV-14LB」で検索してこのサイトにお越しいただく方がたくさんいるので、今日はもう一度、真空管プリアンプSV-14LBとトライオードのTRV-A300で録音を聴いている印象を書いておきたいと思う。


このブログでは、先日入れたザ・キット屋のプリアンプSV-14LBのことばかり書いており、たしかにそれは素晴らしいのだけれど、サンスイトランジスタ・アンプを真空管プリメインTRV-A300に変えた際のインパクトは実はもっと大きかった。それまで自分の耳にうるさく聞こえていたステレオの音がすっきりと聞きやすいものに変化したのだ。僕のようなオーディオの素人にも十分に聴き取れる劇的な変化である。サンスイに比べて値段だと半額に満たないトライオードのアンプは、いわゆる音像定位により秀でていた。トランジスタでオーケストラを聴くと、二つのスピーカーの周囲にべたーっと音が平面的に張り付く感じで、とくにフォルテの表現なると騒がしいだけでほんとうの音の芯が聞こえてこないうらみがあったのに、トライオードにしてから、楽器の固有の音が太くはっきりとして、音楽が率直に聞こえてくるようになったのだ。


トランジスタ・アンプの方が明らかに優れていると分かった点もある。グレン・グールドが鼻歌を歌いながらピアノを弾いている録音の場合、真空管のTRV-A300にしたとたんにそのグールドのだみ声がピアノのむこうに引っ込んでしまったのだ。そこで思った。ハイファイ的にあらゆる音を再生することをオーディオの楽しみとするならば、トランジスタは一日の長があると考えるべきらしいということだ。


でも、これが不思議なのだが、いろいろな音が聞こえることイコール本物らしい音ではないのだった。ここが人間の耳の不思議だが、今のところもっとも僕にとって納得できる理屈は先日こちらのエントリーで紹介したバイオリン制作者の佐々木朗さんの説明ということになる。こじつけっぽいなあと思われる方もいるかもしれないが、僕は楽器制作をやっている方の実感がこもっていると思う。


SV-14LBは、こうして音楽が聞きやすくなった僕のオーディオセットに立体感を付与してくれた。とくにピアノの低音や弦楽器の胴鳴りは、よりリアルに響く。だから、ピアノのソロや弦楽四重奏を聴く楽しみが大きい。これこそが望んでいたことでもあるので、今のところ作戦成功ににんまりの心境。


先日はバイオリン協奏曲の聴いていて独奏バイオリンの鳴り方に感興を覚えた。ギドン・クレーメルを独奏者にしたアーノンクール指揮コンセルトヘボウ管弦楽団によるブラームスのバイオリン協奏曲は、最近のデジタル録音でもあるからだろうが、クレーメルの独奏が高い音から低い音まで倍音を響かせる様が聴き取れ、バイオリンがバックのオーケストラから浮かび上がって聞こえる。もしかしたら、今まで呑気に聴いていたからかもしれないが、半導体アンプでは、聴けない快感である。


これで、さらにModel2のような真空管DACを入れるとどうなるだろう、とちょっとだけ助平根性が湧き起こるのだが、どうなんだろう。誰かに教えていただきたい気もするし、しばらく次の投資の話は忘れて音楽そのものに集中していたい気もするし。


最後にオーディオとは何の関係もない話ですが、『冷血』『叶えられた祈り』『トルーマン・カポーティ』の三作品の文庫化に合わせて川本三郎さんが散文をこちらに寄せています。

■「悲劇の始まりは『冷血』の成功だった」(波 2006年8月号より)