僕がオーディオマニアではない理由

今読んでいる『ビッグバン宇宙論』の中に次のようなフレーズが紹介されている。フランスの数学者アンリ・ポアンカレが語った言葉からの引用だ。

科学者が自然を研究するのは、それが役に立つからではない。科学者が自然を研究するのは、そのなかに喜びを感じるからであり、そこに喜びを感じるのはそれが美しいからである

人類の宇宙観の変遷という気宇壮大なテーマに取り組む書物の中で、こうしたフレーズに出会った僕は、つまりオーディオマニアもそういうものなんだな、とはちゃめちゃな連想を紡ぎ出した。つまり科学者が自然研究を愛しちゃっているのと同じように、オーディオマニアという人達はオーディオ機器に美しさを見いだす人たちだと言って差し支えないのだろうということだ。ザ・キット屋の真空管プリアンプSV-14LBを組み立てて以来、あらためてオーディオが気になるのである。オーディオと自分の距離が気になる。正確に言うとそういうことだろうか。

僕はオーディオ機器に嫌な音を立てないで欲しいと願う程度のオーディオ使いで、支払った対価の面でも機器へのこだわりの面でもとてもマニアの集合に入っているとは言い難いと思っていたが、「ビッグバン宇宙論」で出会ったポアンカレの言葉を敷衍すると、やっぱりそうなんだなと思う。オーディオ雑誌が、金属(や木)で作られた機械に過ぎない事物を非現実的に美しいカラー写真で取り上げる理由は、そういったものを純粋に慈しむ読者が想定されているからだ。外観を含め、あるいは電気の理論の結晶としてのオーディオ機器の「なかに喜びを感じるからであり、そこに喜びを感じるのはそれが美しいからである」ということになるだろう。 これに対し、僕のようなタイプのオーディオ使いは、「それが役に立つ」と思うから、自分に必要な響きの閾値を確保するために最低限の投資をする。こういうのはたぶんオーディオマニアとは違う存在なのだと思う。

僕が生まれて初めて出会った正真正銘のオーディオマニアであるAさんは、社会人になって最初の1年半を仕えた勤め先の上司だった。どんないきさつでそんな風向きになったのか皆目記憶にないのだけれど、ある週末、当時42歳だったAさんの蒲田のお宅に遊びに行くことになった。Aさんのオーディオセットを聞かせていただくためだ。

生まれて初めてタンノイのウェストミンスターの音を聞いた。抱えてお邪魔したカルロス・クライバーバイエルン国立管弦楽団によるベートーヴェン第4交響曲のレコードは、当時まだ出たての評判の盤で、CDプレイヤーはすでに世の中に出回り始めていたが、僕はまだ持っていなかった。Aさんのリスニングルームにはいかめしいアンプやプレイヤーが並び、このシステムが出すステレオの音は僕のミニコンポとはまったく別の次元で鳴っていた。当たり前だけど。キャスリーン・フェリアのファンだったAさんにフェリアが歌う『亡き子を忍ぶ歌』やヘンデルの『メサイア』を聴かせていただいた。僕はそのとき初めてフェリアを聴いた。

レコードプレイヤーはウェストミンスターに負けず劣らずすごい重量感だった。たぶん、トーレンスの最高級品、そんな類のものだったのだと思う。「このプレイヤーはいくらぐらいするんですか?」と率直きわまりない質問をしたら、Aさんは何故かはずかしそうに「スカイライン一台は買えるかもしれません」とお答えになった。Aさんは年下にも、というか年下であればあるほど基本的に「ですます」で受け答えをすることをポリシーとしている独特の雰囲気を備えた紳士だった。自動車を運転しない僕は、それがいったいいくらにあたるのかはっきりとは分からなかったが、たぶん100万円といった額になるのだろうということは想像できた。

数百万円のシステムの音は素晴らしいの一言に尽きたということもできるし、こんなものかと思う部分もあった。何となれば、出てくる音は違っても、クライバーはやはり同じようにバイエルン国立管弦楽団を指揮していつも聴いているのと同じベートーベンを演奏しているように思われたからだ。だが、家へ帰り、ミニコンポの音を聞いたときに今まで感じられなかった欠落感が僕を襲った。

僕のオーディオへのこだわりはこんなところに起源を発している。美しさに魅せられたのではなく、欠落感、飢餓感の記憶に支えられているところに、その精神的な貧しさにアンプキットの組み立てまでしながら自分の趣味はオーディオですとは決して言えない理由がある。僕にオーディオの世界を垣間見せてくれ、最初のスピーカー購入にも親切に付き合ってくれたAさんはその後すぐに体調を崩して入院され、お亡くなりになった。若い僕には人がそんなに簡単に死ぬことが理解できず、病院は勤め先のすぐ近くだったにもかかわらず、世話になったAさんのお見舞いにはたった一度行ったきりだった。痛切の極みである。

それ以来、ウェストミンスターの音を聞く機会には巡り会えていない。 ベートーヴェン:交響曲第4番