『一柳慧の音楽』

タケミツホールで毎年開催されている現代音楽のシリーズ「コンポージアム」が今年取り上げたのは一柳慧。5月25日のオーケストラコンサート『一柳慧の音楽』に行ってきた。
この日、秋山和慶指揮東京都交響楽団が演奏したのは「ビトゥーン・スペース・アンド・タイム」(2001)、「ピアノ協奏曲第6番《禅−ZEN》」(2016)、「交響曲《ベルリン連詩》」(1988)の3曲。

作曲家ご本人の若さに圧倒される思いがした。83歳なのだそうである。それが、若い頃と同じように、今でもとがった作品を作り続けている! 人物も遠目には昔の写真そのままだし、背筋は伸びて老いが見えない。この日初演されたピアノ協奏曲の独奏者まで務めてしまうのである。そうした意欲と能力の持続力がどこから来るのか。それだけで一流であることの証明になているようなものだ。

代表作の一つである「交響曲《ベルリン連詩》」から十数年づつを置いて作曲された3曲を聴くと、創作する人が自分を追いかけている様がよくわかる。管弦楽のように、用いる素材に変化がない領域での営みはとくにそれがくっきりする。30数年の間に世間ではいろいろなことが起こるが、人の中の変化や熟成というのは、それに比べると小さい。時間は同じものではない。というようなことがよく分かる3曲の演奏だった。

それにしても、久々に一柳慧の音楽を聴いて感じたのは、「新しくない!」ということだ。とてもなじみのある、懐かしい語法や音響空間が展開されているという感覚。かつては前衛として恐れられた音楽は、その影響力ゆえに換骨奪胎され、我々はそのこだまを映画やテレビを通じて普通の娯楽向けの音楽の中にすら聴くことになる。我々には、そうした感化の30年、40年があり、新しいことが価値かと思われた音楽から新しさの看板がなくなり、しかしそこには一柳慧さんの看板と実績がある。ということなのだ。
音楽好きの知り合いに話したら、「前衛音楽に慣れてしまったんですよ。ブーレーズだって、もう古典の気がする」と言われてしまった。