ワールドカップ

3年目となった金城さんのシュポは、過去2回会場だった津田沼のテント酒場がなくなってしまい、今年は目黒のパブ「Black Lion」での開催。横浜在住者にはありがたいロケーションだったが、2ヶ月前に告知された日取りと時間帯は、その当日となってみたら4年に1度のワールドカップの、3回しかない日本戦にドンピシャと当たってしまっており、熱気むんむんのほの暗い酒場の中は、我々を除けば大スクリーンで賑やかに日本を応援しようとたくらむ代表サポーターばかりで、なんとも形容しがたい今年の会となった。また今年も新しい出会いがあり、遠路はるばるかけつけた顔なじみとの再会ありで、素晴らしいひと時を送ることができたが、途中からは会場もろともにワールドカップに呑み込まれ、暑さと煙草の匂いとで疲れてしまった。しかし、これもまた思い出に残る一晩かもしれない。

試合開始直前に、にやにや顔の金ちゃんから「ルール分かります?」と突っ込まれたが、いちおうは。1982年のワールドカップ・スペイン大会を当時ドイツ語学校に通うために滞在していた西ドイツで観て、その面白さに叩きのめされて以来、ワールドカップだけは観るいんちきサッカーファンだから。このイタリアが優勝した大会で準優勝に輝いた西ドイツには、ルンメニゲシューマッハー、ブライトナー、注目の若手リトバルスキーといった選手がおり、優勝候補最右翼のブラジルはジーコファルカン、セレーゾ、ソクラテスの「黄金のカルテット」が毎日のようにメディアを賑わせ、フランスのミシェル・プラティニが輝いていた。得点王ロッシを擁したイタリアも印象的だった。

この大会、ゲームとしての極めつけは、1対1の同点で突入した延長戦で、3対1というサッカーでは決定的なリードを一時は許しながらも、信じられないような執念で同点に追いつき、PK戦でフランスを破り決勝進出を果たしたドイツの戦いだった。下宿先の食堂で、ペルーの官庁から派遣されてきていたおじさんと一緒に映りの悪い白黒の小さなテレビ画面を眺めていた僕は、ドイツの勝利に自分の体が震え、そのことに驚いた覚えがある。この試合を観た後では、イタリア対ドイツで行われた決勝戦は、なにかおまけのようにすら感じられた。『SLAM DUNK』の湘北対山王戦のような試合だった。あらゆるスポーツ観戦で、深甚とした魂の震えと呼ぶにふさわしい体験をしたのは後にも先にもあの一度のみじゃないかと思う。

だからワールドカップというイベントには今に至るまで最大限の敬意を表し、プレイヤーの執念と努力とが奇跡の領域に人々を招き寄せる瞬間にテレビを介してですら立ち会いたいと思い続けている。これはサッカーの大会であって、サッカーを超えた何かを体現する大会である。ただ、そこには常に国威発揚全体主義的な感性が付いて回るので、それが気になる人は少し群衆から離れて観戦をするに限る。たとえば、今から28年前の、外国の下宿にぽつんと置かれた16インチ白黒テレビの前にひとり座りなおし、たおやかな表情のペルー人のおじさんと一緒に観るに限る。