物忘れの悲しみ

真空管プリアンプSV-14LBを組立終わって一週間、システムを変更したての音の変化に対する感激をもう忘れかけている。それにSV-14LBを入れる前の音がどのように響いていたかも、もう思い出す自信がない。こういう輩がオーディオに金をかけるのは基本的に猫に小判だなと思う。

音の記憶がどれぐらい強いものなのか、自分以外の人に訊いてみたことはないが、正直なところ、この点でも自分の記憶はかなり減退しているらしく、以前聴いた音はほとんど自分の中からこぼれ落ちてしまっているように感じられる。
ヘルマン・プライやフッシャー=ディースカウの声、美空ひばり三波春夫の声を知っていて、この人たちの声を頭の中で再現できない者はいないだろう。ウィンナー・ワルツを聞き比べて、どちらがウィーン・フィルか、ロンドン響かを聴き分けるのは難しくないかもしれない。しかし、ウィーン・フィルの音色、ベルリン・フィルの音色、ロンドン響の音色、コンセルヘボウの音色、新日フィルの音色となると、それらを何年かに一度しか聴かない者としては、聴いたとたんに理解できる自信はもはやまったくない。数年前、何年かぶりにウィーン・フィルを聴いたときに「えっ、このオケってこんな馬力がある音だったっけ」と驚いたことを思い起こす。もっともオケは人も変わるから、数年に一度聴くオケの音がどこまで変わっていないのか何とも言えないのも事実ではある。

かつて吉田秀和さんのことを同業の音楽評論家(誰だっただろう?)が語っている文章を読んでいたら、吉田さんの耳の良さを語るエピソードとして、この筆者が吉田さんとハンガリー国立響の演奏会で会ったときに「音が出たとたんにこのオケを以前聴いたことがあるのを思い出した」と吉田さんが語ったという話が枕に置かれていた。たった一度だけ聴いたオケの音を数年ぶりに聴いて思い出すのは凄いという話である。僕もそう思う。

忘れてしまうのは音色だけではない。昨日、高校生の頃、何度も繰り返し聞いたベームウィーン・フィルの1975年東京公演の録音を久しぶりに聴いた。ブラームスの第一交響曲。FMのエアチェックを飽きるほど聞き返していた頃は完璧な演奏だと信じていたが、第4楽章のクライマックスでオケが前につんのめるように前進するのを聴いて、ちょっと大げさかもしれないけれど愕然とした。あんなに何度も聴いた演奏なはずなのに、あれ、こんな程度の演奏だっただろうか、という印象だったから。

あまたの演奏会を思い出しても、「自分はその時、こう感じた」という言葉による印象だけを反芻していることがほとんであることに気がつく。音それ自体を記憶にとどめていることはほとんどないのだ。悲しいかな。

ワールドカップ・ドイツ大会が終わる。4年後まで、Leb wohl! Auf Wiedersehen!