夢の通路

系統的な読書はしたことがないけれど、子供の頃にはすでに人気作家の地位にあった筒井康隆は、人並みに、それなりに、読んだ。この人の作品の中には、長編の『夢の木坂分岐点』、短編だと『遠い座敷』や『エロチック街道』など、明らかに夢からモチーフを借りたと思われるものが少なからずある。サービス精神過剰な彼のドタバタものは、読むたびに胸焼けを起こしそうであまり楽しめないが、この種の夢の系譜に連なる作品は、スラップスティック風作品とは正反対にすんなりと胃の腑に収まる感覚がある。たぶん、同じような感想をお持ちになる読者は世の中に少なくないのではないか。勝手にそんな風に想像をしつつ、例えば村上春樹を語るように、「『エロチック街道』、いいですよねえ」などと他人様と語り合ったことは一度もないのだけれど。

筒井の作品は、あくまで文学作品に昇華されたもので、夢のにおいは濃厚に残ってはいるが、単なる夢、純粋な夢とはまったく異なる何かだ。作家の想像力は個人の夢に他者に通じる回路を挿入し、普遍性を持つ物語を形づくることを可能にする。これに対し、ふだん我々が見る夢は、自分自身にとっては強い喜びや恐怖や不安を訴えるのに、寝起きの直後にそれらを描写しても、他人の胸騒ぎを起こす存在であることはほとんどない。伝わるものがほとんどないという結果に終わることが大半である。これはどうしてだろう。

心理学とは何の縁もない私は、その理由や夢の持つ意味に合理的な説明を求めようとは思わない。その意味で、悲しいかなこの文章にはオチらしいものはない。私が書いておきたいのは、超個人的な体験である夢ですら、語り手の気持ちと創意工夫があれば、他人に向かって語りうるメッセージになりうるという事実についてである。自分自身に向けての通路であるはずの夢が、そこを通って他人とつながる通路になる。そのことに今の自分は勇気をもらえるように感じているという点についてである。


エロチック街道 (新潮文庫)

エロチック街道 (新潮文庫)