マッチョな言葉

「マッチョ」という表現のしっかりした由来や、きちんとした意味を知らずに使っているので、そもそもこの論にはいくらでも突っ込みどころはあるとは思うが、ともかく続けると、最近の私はマッチョな言葉が嫌い。酔っぱらって高揚し、エベレストの頂に立っているかのような豪勢な気分になった瞬間に吐かれるものならばまだよいけれど、しらふの時に精神的な成金状態で、自分自身の言葉に酔いしれているのかなというタイプ人はノー・サンキューである。

マッチョじゃなければやっていけないような職業の代表格といえば政治家だが、この前の選挙の時に、鳩山さんが「みなさん、財源はあるんです!」と選挙カーの上で叫んでいた姿には「ほんとかよ。なかったらすぐに責任とるのかな」と、あまりいい気持ちはしなかった。はしたない、という気持ちになる。

はしたない、と言えば、こうして人品あやしからぬ自身を省みずに書き連ねるブログは、「はしたない」行為だ。「はしたない」という気分とともに書いている瞬間はまだよいが、ときに気分がハイになり、それどころか若干のビールでいい気持ちになりマッチョな言葉を書いてしまったときには、その後に決まって忸怩たる思いにとらわれることになる。

てなことを考えていると、ブログごときもなかなか書くのがむずかしい。だから、ナルシズムを十分に制御して書かれている文章を読むと、「すごいなあ」と感心する。この界隈にもそうした文章に出会えるブログがいくつかあるが、それらを読むのはブログの楽しみの神髄ではないかと思う。