最後の授業

20代前半に海外でたいへんお世話になった独文学の先生が定年を迎え、最終講義をなさる。そのお知らせを頂き、雨の中央大学に足を向けた。15分遅れで教室に入った。先生とは日本で一度、20年ほど前にお会いして以来。その間、電話で数度お話をしたことはあったけれど、実際にお会いするのはそれ以来初めて。

学生時代から合唱をやっていたダンディな先生は、誰もがうっとりとするような甘くて太い美声の持ち主で、電話で先生の声を聴くと、その声に触発されて私の心はたちまちに30年前のドイツに飛ぶのだった。電話の向こうには30年前のドイツがあり、先生はそこから電話で話をしてくれている。そうした、自分勝手で勝手な思い込みや想像がまとわりついている関係というものが、誰にでも、少しはあるのではないかと思う。こういう思いは常にお互いの動静を知り合い、互いの変化をも確認し合っている、常に現在という場所で落ち合うような間柄には発生しづらい。先生との関係は、私にとってひとつの「人生の時の時」がそこに刻印されている大切なつながりだった。

すでに講義が始まっている教室に後ろの出入り口から、そろりと入る。教室はほぼ満席で、現役の学生と同じぐらい、中年、年配の人たちの姿が目についた。正面中央に場所を見つけて、そこに落ち着いた。1時間少々の間、私にとって忘れられない先生の美声が、ご専門のヘルマン・ヘッセを語るのを聴いた。よどみのない、わかりやすい、語る言葉を瞬時に選びとっていくのにためらいがない、おそらく私の記憶が機能するかぎりそこに残るであろう講義だった。その内容を咀嚼しようと努めながら、一方では、いま壇上でマイクを握って、先生の声で授業をしている見知らぬ大学教授と先生とを結びつけるのに苦労をし続けた。先生も、私がお声をかけるまで、目の前の50男が私だとは分からない様子だった。互いに破顔一笑し、握手をした。20年、30年という時間はあったのだなと思った。生物としての我々はつねに変化を続けて、30年前の自分も、30年前の先生も、もはやこの世にはない。しかし、それがあると考える自分がいて、自分は首尾一貫していると考える自分がいて、その思いを認証しあい、共有しあう相手がいる故に我々の社会は生まれている。すごいことだなと思った。