節目

子供の頃は高度経済成長の真っ盛りで、大人になれば勤め人になって年功序列・終身雇用の社会を生きるのが当たり前という規範が含まれている空気を吸って生きてきた。その社会のムードに小さな個人として自分自身にしか意味をなさない反発をするように転職・異動の人生を送ってきたら、そんな個人のドラマなんか意味ないよとでも言うように、いつの間にか日本の産業社会は伝統的な日本型経営を維持できない状況になっていた。

これは自分たちで望んだ結果、そちらの方向に動いているというのではなくて、あくまでそれらが維持できないという形での変化だ。それら昔ながらの価値観を積極的に代替する新しい生き方が社会の共通認識として浮上しているというのではない。天の邪鬼にとって、ターゲットが元気がないのは実に困る事態だ。いまの政権交代ブームは、自分を振り返って考えてみても「変わりたい」という欲望の表れである。社会全体がそうした欲望を心の内に抱えていることには間違いないだろうけれど、では「どのように変わりたいのか」と自分自身に向けて新たに問いかけてみると、はっきりと答えを言えないのである。正直なところもどかしい。今日、50歳になった。どうやら、捜し物をしているうちに終わるというか、捜し物をするのが自分の人生らしいというところまでは、とても合点がいくようになった。