さえずりとつぶやき

どうしてみんなtwitterで情報発信をすることを「つぶやく」と表現するのだろう。あれはサービスの名称に即して言えば、「さえずる」「ぺちゃくちゃしゃべる」であるはずで、二つの言葉のイメージには大きな乖離がある。あのサービスを考えたアメリカの人たちは、「どんどん自己主張、情報発信してください」というノリで「さえずり」というサービスを考え、それに呼応する名称を付与したのだろうが、それが日本に入ってくると「つぶやき」になるのが面白い。実際に自分でもさわってみると、「英語のtweetというのは、日本語に直すとつぶやきっていうんだっけ」と思わず振り返って辞書を繰ってみたくなるような、内向する感触がたしかにあるのだった。

これは多分に「さえずるのははしたない。つぶやくのは品が悪くない」、「さえずるのは他者に対する干渉・攻撃、つぶやくのはオレの勝手・自由の表現」と規定してかかる文化の反映であるはずで、自分の中にある日本を思わぬ場所で突き付けられることになった感じがする。

しかし、twitterの利用者である私は、それが同時に発散であり、情報発信であることを理解しているわけで、そこがずるいといえばずるいのである。いったん内向のポーズをとらなければ、主張が出来ないというところはあらためて端的に自分を含めた現在のしゃっきとしない日本を感じる。