神保町、ガラスの街、冬の旅

神保町の三省堂一階の新刊本売り場に、ポール・オースターの『ガラスの街』ハードカバー版が幾段にもなって並んでいた。どうしたのかと帯に眼を這わせると、柴田元幸による新訳版が出たのだった。黒字の表紙のど真ん中に太い帯を入れるような具合に、ダイヤモンドのように燦めくマンハッタンの夜景の写真がはめ込まれている表紙が、書店の棚に幾重にも積み重なって、そこは東京の本屋の中なのに別世界のように見えた。意識は、電灯の燦めきに同調して揺れ、ふと気がつくと、五番街に面したHMVの地階にあるクラシックCDの売り場で、僕はディースカウとペライヤが録音したシューベルトの『冬の旅』の新盤をレジで店員に差し出すところだった。50代半ばといった年格好の、白髪が目立つががっしりとした体格の店員は、少し眼鏡を下げ気味にしながら、「Oh,Winterreise!」と低い声をあげ、上目遣いに僕の顔を見ながら微笑んだのだった。にこりと笑顔を返したような気がするが、「Winterreise」という唐突に耳に届いたドイツ語の柔らかい響きほどにはこちらの記憶はたしかではない。ガラスの街で聞く、「Winterreise」の異質さと、東京の街中で見るマンハッタンの夜景写真の異質さとの間で、まばたきよりも少し長い時間、なぜそれがそうなのかよく分からないままに、幸せと呼ぶしかない感覚を味わった。


ガラスの街

ガラスの街


シューベルト:冬の旅

シューベルト:冬の旅