読み書き能力の話

久しぶりに下川さん(id:Emmaus)とお会いし、学芸大学駅近くのほの暗い通りで、そばを食べながら歓談のときを過ごした。静かで落ち着いた店のなかで行き交ったいくつもの話題の中から、私たちにとって重要なのは読み書き能力ではないかという下川さんからの問題提起を紹介させて頂きたい。

10月の第二週、まだ二週間も経っていない先日の話である。いつものように川沿いのルートをジョギングの最中、土手から少し下った場所ににでうつぶせに寝転がっている人を見て、下川さんは一瞬「酔っ払いか」という思いが頭をかすめたそうな。

ところが、それと同時に何か尋常ではないものを感じた下川さんは、土手を下り、相手にかけよって、どうしましたかと声をかける。反応がない相手を仰向けにすると、その顔は酸素不足で青紫に変色するチアノーゼの状態で、確認すると脈がない。状況を理解した下川さんは、通りかかった人たちの助けを借りて、救急車を呼び、ご自身は人工呼吸を繰り返して、急病の人物は息を吹き返したのだという。

この事故に下川さんが遭遇し、結果的に一人の人間の命を救うことになったことについて、とても控えめな言い方で、それはつまり読み書き能力の問題ではないのかとその後に考えた、とおっしゃるのである。

若干の解説を挿入すると、デザインのお仕事を離れ、しばらく以前から介護士として活動されている下川さんには、こうした思いがけない救命活動を実践するための実務的な知識が備わっていた。そして、ブログや、twitterや、あるいはその他のメディアの活用にふれながら、私たちにとって重要なのは、媒体の如何を超えた、普遍的な読み書き能力(の向上?)ではないのかと話を展開する。

私はというと、下川さんの話を受け止めるのが精一杯で、話題を変奏することも、ましてやセッションに向かうこともできないありさま。しかし、奈良のお酒「春鹿」をすすりながら、「正しい問題提起の重要性」ということを考えたりはしたし、それは自分自身にとって、とても重要なメッセージだった。

地元の消防署から「感謝状を贈らせてほしい」という要請があり、断ったけれど、ぜひと言われてしまったと下川さんは苦笑していた。

以上の話は、下川さんから「書いてよい」と許しを得たものではありません。事実の間違い、解釈の違いを含めて文責はすべて私にあります。