マクルーハン

「メディアはメッセージである」とマーシャル・マクルーハンが語ったのは1960年代半ばのことである。いま、読んでいる本の一節によると、この韜晦な文章の語り手は、当時、米国マスコミの寵児といってよいようなスター扱いを受けていたらしい。

半世紀経つと、「メディアがメッセージなんて、なんでそんな当たり前のことが話題になるの?」と人々は考えるようになる。その程度には世の中は変化した。当時、メディアといえば、連想するのは書籍であり、新聞であり、ラジオであり、テレビであった。どれも、私の日常に大きな影響を及ぼすが、そのコンテンツは私の日常の向こう側から降ってきた。

いまや、メディアといえば、上記にくわえて、インターネットであり、携帯電話である。ウェブであり、ブログであり、SNSであり、twitterである。情報の消費者は、プロシューマーと化して、メディアの成立には私がかかわっている。メディアは日常の向こう側からやってくるものではもはやなくなってしまった。そうした現実のなかでは「メディアはメッセージである」ことは、実に率直に感知できる現実であると感じられるようになってしまった。ブログはそれ自体がメッセージであり、twitterを活用することはそれ自体がメッセージである。ブログとtwitterFacebookを使い分けることは、それ自体がメッセージである。

いま読んでいる本は、「マクルーハンは、このフレーズを違う視点で読んでもらいたかったのではないか」という問題意識の上に書かれている。今度、あらためて紹介したいと思う。それはそれとして、「メディアがメッセージである」ということの意味を問い直すことを迫られる時代、あるいはその先を考えることを要求される時代がやってきたように感じられる。