映画、芥川賞、選挙

サマーウォーズ』を観ようかと映画館の前までいったら、上映時間を間違えていて、次の回を待つとかなり遅い時間帯になってしまう。仕方ないから代わりに何か観ていくかと看板を見回したが、少し気持ちが動いたのは『HACHI』ぐらいで、けっきょくやめてしまった。なんとも自分らしい段取りの悪さである。

最新の芥川賞作品は、そんな読み方をしてよいのか、失礼だろう、よくないだろうと自分に対して弁解をしつつ、ところどころ拾い読みをするように文章をたどると、惹かれる描写がある。これがこの小説の提示する現実ですよという世界が主人公の主観に侵されて、現実と夢との境目が朦朧になるのは、小説という形式の面白さの一つだが、この小説はそうした形式の強みをよく意識していると思う。ただ、そうしたものを意識しすぎているのか、逆にこの種の小説の型にはまっていてどこか息苦しい。小説でも映画でも、あるいはブログでも、型を意識し、型を構築しつつ、型を壊していく試みが読んでいてスリルがあって、面白いが、この小説の場合はかなり自覚的にある種の型のなかにあることを意識していると感じられる。そこが「どうだろう」と感じてしまう部分だが、この小説を評価する人は、そこを「よく書けている」という風に言うだろう。まだ、選考委員の評は眼にしていない。もっとも、以前のようにそれ自体が作品として読むのが楽しいような選評はほとんどないのが現在の芥川賞だが。

こんな日本でいいのかと思う。
よくないでしょう、ということでもうすぐ選挙である。今回はその結果として既得権のよどみが壊れることに一市民として期待をしている。従来手が着けられなかった不合理が少しでも是正されればいいなとは思う。ただ、すでにあちこちで語られているように、短期的な施策の提示はあってもビジョンがないマニフェストを見ていると、過度な期待は裏切られるためにあると覚悟しなさいと言われているような気分になる。高速道路無料化なんて、いったいなんなんだよと思うし、外交はいったいどうなるんだか。民主党という政党が、分裂せずにこのままのかたちで続いていく感じがしない。

芥川賞にひかれて開いた今月の文藝春秋だが、もっとも面白かったのは藤原正彦の「名著講義」最終回かもしれない。藤原正彦さんとゼミの学生との対話という形式で綴られた読書案内だが、今月号では『福翁自伝』がとりあげられている。恥ずかしながら一度として福翁の書いたものを読んだことがない。そこで、『福翁自伝』の内容、つまり福沢諭吉の人生をたどりながら、学生にむかって解釈をしていくというスタイルのこの文章には、知識をお持ちの方にはどうってことない内容かもしれないが、とても興味深いものがあった。

ただこの本を読むとオランダ語や英語など、諭吉は洋学を重視したと感じる人もいるでしょうが、その前にきちんと漢学を修めていることも忘れてはいけません。孔孟はもちろん老荘から詩経書経までをマスターしています。歴史書の方も史記をはじめ乱読し、春秋左史伝などは十一回も読んだと言っています。この本は岩波文庫にありますが、『福翁自伝』の五倍もありそうな大部なので翻訳なのに私などは怖じけづいています。謙遜な諭吉が「漢学者の前座ぐらい」と自分でも言うほどですから相当なもののはずです。
これほど猛勉したものを、洋学に移ってからは一切見向きもしないし、儒学などはこれからはダメだと攻撃さえするのですから普通の人ではありません。

たぶん、立ち止まらない知性というのは、もしかしたら概してそういうもんなんだろうねと、自分の知っているいくつかの例を見渡して納得するようだった。首尾一貫した自分という概念は、意識がしかけるフィクションに過ぎないのかもしれない。とがった知性は、そこを突き抜けるのではないか。