プロパガンダと真実

数日の間、『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』という本を読んでいた。ワールド・トレード・センターの事件の記録本である。2005年9月に日本版が出ており、つまり4年も経っているので旧聞もいいところだが、「9.11」は野次馬根性で読むのが少々辛い気がして、この種の情報には接してこなかった。それが、何の気なしに入った図書館で、この本が立ち止まった書棚にあり、また何の気なしに借りて読み始めたまではよかったのだが、けっきょく気が重い読書になった。

著者二人はばりばりのジャーナリストで、一人はニューヨークタイムズでこの話題を追った警察周りの担当者。一人は1993年のワールド・トレード・センター爆破事件を丹念に追ってきた人とのこと。当時、二つのタワーにいた人の証言をしこたま集めて、現場で何が起こっていたのかをできるだけ正確に文字で再現しようという趣旨でつくられた本である。

とんでもない数のインタビューの結果を、読みやすい本にまとめる手腕は、さすがアメリカの一流ジャーナリストと感心しつつ、しかし、この情熱がどこから来るのかと考え、どことなく嫌な気持ちも混じりそうになりながら、あらためてプロの力業に感嘆する。そういう時間と、ワールド・トレード・センターが事件発生から崩壊に向かう102分という時間、その外にある読者としての自分の時間を意識の中で錯綜させる。そういう読書になった。

筆致は情に流れず、それは救いではある。この本が貴重な証言録であるにもかかわらず、大きな話題になったという話を聞かないのは、この著者の姿勢と文体のせいだろう。そこは読んでいて救われる部分である。

本自身の記述によれば、この本で初めて明らかになったことがいくつもあるそうだが、誰もが徒労感に襲われるだろうと思われるのは、いさんで非常階段を救助に上っていった消防が、階段を下りて非難してくる人たちにとって大きい精神的な救いを与えていた事実がありこそすれ、救助という意味では実に限定的な役割しかなしていない、あけすけにいえば、ほとんど役に立っていないという事実である。必要な高さまで到達した消防隊員が数限られているのは、薄々は多くの人が感じていたのではないかと思うが、事実らしきものがこういうことであるならば、ブッシュやジュリアーニらのプロパガンダはあらためて何よとしらけてしまう。そのジュリアーニについては、これも十分に抑制の利いた口調で著者は批判をしている。

ニューヨークにいた頃、大きいCDショップが市庁舎の近くにあって、毎月そこに行くたびに、頭の上にのしかかってくるようなワールド・トレード・センターのツインタワーが見えた。

家族と一緒に屋上の展望台に遊びに行くと、あまりの高さに、当初は空に浮いているように感じていた勤め先の41階のフロアですら、地べたに近い場所に感じられた。

投資銀行主催のセミナーに参加するために、この本の中でも出てくる「トップ・オブ・ザ・ワールド」という最上階のレストランにも何度か行った。あるとき、そのトイレの手洗い場で客にタオルを渡す役回り−なんという役回りだろう−をしていた浅黒い肌をした、小柄な若いアジア人女性がいた。欲と自己主張が充満する空間から一歩隔てたその手洗い場で、我々になじみ深いアジアの慎みに包まれた、かわいらしい女性に出身を尋ねると、フィリピンからだと言っていたように覚えているが、記憶はすでにおぼろげである。それから3年、彼女があそこに勤め続けていなければよかったがと、何度も思った。この本によると、当たり前だが、旅客機が突入した階よりも上にいて助かった人は一握りでしかなく、当日、レストラン「トップ・オブ・ザ・ワールド」にいた人で帰ってきた人は一人もいかなかったという。


9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言

9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言