父の死と「シュンポシオン横浜」のこと

昨晩、父親の葬儀を終えて、福岡から帰宅しました。「シュンポシオン横浜」の余韻を携えて横浜の自宅を出たのが、その翌朝、14日の朝6時前ですから、10日間のあいだ非日常的な時間の中にいたことになります。

父の末期癌が宣告されたのが10月の冒頭で、9月に大分の小野さん(id:sap0220)、比嘉さん(id:Ryu-Higa)に会いに行った際には、その検査の最中でした。尋常ではない痩せ方を目にし、あまりよろしくない病気であることは一瞬にして悟らされまししたが、まさかこんなに残り少ない命であるとは想像だにしませんでした。

13日の「シュンポシオン横浜」から帰宅した夜中の12時半に容態がよくないと聞かされ、翌日に飛行機で飛ぶことになったときには、「ついに入院をさせなくてはならないかもしれない」とは思っていました。これまでいわゆる老老介護をする立場だった父親が寝込んでしまい、家事の多くの部分を父親に頼っていた母親が倒れかねない状況だったからです。実際に回らないろれつで「死ぬのはまったく恐くない。ただ、最後は家で過ごしたい」という親をかなり激しい言葉も交え説得し、3日目に入院させるときには、これで共倒れは防げたと正直なところほっとしました。しかし、その後がこれほどまでに短いとは想像もしませんでした。病院で一晩を過ごし、翌朝、私の弟や、女房、叔母、従兄弟夫婦などが次々と見舞いに来る頃にはまだしっかりと話もし、体をベッドの上で起こしてつけ続けてきた日記に文字を書き記していました。長期戦になるかもしれないので私自身いったん横浜に戻るという話を周囲の者にしたほんの数分後、近親者に看取られながら父は他界しました。

病院の床にあってもノートを手放さず、死ぬ直前まで「死ぬまで勉強」と言い放った父でした。なんの偶然か、いま、私のモニターの脇には10日前に無造作に立てかけた『私塾のすすめ』がそのままにあって、その帯には「一生学び続ける戦略」とあるではありませんか。なんだか嘘のようです。でも、嘘でもないような気もします。こういう偶然を必然のように思いなすところが結局のところ人間の素晴らしさではないでしょうか。

辻さん(id:Ronron)に「シュンポシオン横浜」の司会を頼んだ際に「もし、万が一参加できなくなったら、あとはよろしくお願いします」とお伝えしてあったのですが、その話をした2ヶ月前には事の推移がよもやこんなに早いとは思ってもいませんでした。しかし、葬儀の後に主治医の先生にお話を聞いたところでは、数値を見る限り、とても字を書いたり、トイレまで歩けるような状態ではない ―普通の人なら一カ月前に歩けなくなっていると言われました― 状態だったようです。もう一日事態が早ければ、私は自分が企画した「シュンポシオン横浜」には参加できなかったことになりますが、その可能性は多分に存在していたわけで、その点では父のがんばりに感謝の気持ちでいっぱいです。これも実は単なる偶然にすぎないのですが、偶然とは思わないようにしたいというのが今の率直な感想です。

そんなことがあり、やはり「シュンポシオン横浜」は私としては止められなくなりました。また、やります。12月13日にいらして頂いた方の中から何人が次回にも足を運んでいただけるかは分かりませんが、ぜひ再びご一緒できるとうれしいなと思っています。また、そのときに新しい仲間が増えていれば、これに勝る幸せはありません。ぜひ、皆さんと一生学び続けていきたいと考えています。

それから、この間、事情を御存知の若干の方からは、折に触れ、メールを介して激励や弔慰を頂戴しました。パソコンも喪服ない、携帯電話はしょっちゅうバッテリー切れという状況でしたので、ろくに返事もできず、たいへん失礼をしましたが、携帯電話の画面やインターネットカフェのモニターで目にした温かいメッセージは心に染み入りました。ほんとうにありがとうございました。ご厚意に対し、この場を借りて厚く御礼申し上げます。