「そうか、自分で的を描くってそういうことか」と僕は思った

この夏、この横丁界隈にはさまざまな言葉が徘徊したが、レトリックとしても、核にあるメッセージの上でも、もっとも印象に残ったのが『simpleA』の金城さん(id:simpleA)あらため“シンプルびき”さんの「シュポ!」だな。

■シュポ!(『simpleA』2008年7月21日)



最初これを見たときには、梅田望夫さん(id:imedamochio)の「好きを貫け」を金城さん流の軽みで料理した結果だと思ったのね。いや、金城さんは、これを書いたときに個人的に御存知の梅田さんのことを意識したかどうかはまったく分からないけれど、お二人のメッセージはとても近いところにある。同じ方向を向いているし、ほとんど重なっていると思った。まぁ、だいたいそんなところで間違いないはずだとは今でも考えています。

でもね、今はもう少し広い解釈をした方がいいんじゃないかと思い直しているところ。別に「好き」じゃなくてもいいんじゃね、ってこと。「好き」から始めなくてもいいじゃね、ってこと。

そもそも梅田さんの「好きを貫け」だって、「子供の頃憧れていたプロ野球選手を一生かけてめざす!」という話ではないとご本人も言っている。だとすると、そもそも「好きを貫くってなに?」ということになり、その話は実際に『ウェブ時代をゆく』にじっくりと書かれているわけだが、大人になり、あるいは大人を目前にして、結果的に“プロ野球選手”から遠く離れて意に沿わない仕事に従事している人、自分は何が好きなのか、何をやりたいのか、よく分からなくなっている人は少なくないはずだ。

僕は金城さんの漫画を見て腑に落ちたよ。「そうか、当たったところに的を描くことが重要なのか」ってね。

ここでチャンチャンと終わってしまうとこれを書いている意味がなくなってしまうので、もう少しお付き合いいただきたいのだけれど、的を描くといってもそれは容易なことではない。もしかしたら、できあがった的を狙う方が簡単かも知れないというぐらいの難しいことである場合も少なくないはずだ。

的を描くって何だろうと僕は考えた。
つまり、それは“付加価値を生む”ということ、それに違いないと気がついた。付加価値というのは自分だけでは作ることができない。つまり、他人が認めてくれて初めて“付加価値がある”という実態が存在するようになるからだ。簡単に言えば、人が認めてくれる仕事ができるかどうか。それが的を描くという行為の意味じゃないか。その仕事が何であれ。

要は人と人とのつながりの中で、自分の行いが認めてもらえるということ。場合によっては感謝だってされるということ。そうなるために日常的な努力をきちんとするということ。それができたときに、いつの間にか的は完成していて、「俺ってこの仕事好きかも知れない」と思えるようになるんじゃないかな。

金城さんの意図とどこまで同じで、どこから違うのかはよく分からないけど、少なくとも僕はそんなことを考え、考えながら勇気づけられた。勇気づけられもしたし、人とのつながりを真面目に考えない社会、人を誉め、誉められることがベースにない社会では付加価値は育たないんじゃないかと、人の幸せは薄いのじゃないかと、あらためて我が日本が心配にもなった。どうか、つまらない保守主義だなんて言わないでほしいな。