ブログと「共鳴」

昨日、ある知人に会ったら思いがけないプレゼントをもらい、そのうえに大いなる励ましの言葉を受け取った。プレゼントの方は文学的な素養が豊かで思いやりに溢れたこの人ならではのもので、このブログを読んで僕の読書傾向を知った彼が、二人の文筆家の、現在は作家自身の意向と諸般の事情によって一般には手に入らない作品を当時の文芸雑誌からコピーしてくれたものだ。予想もしていなかったことなので、彼の好意が春風のように身にしみる気がした。この人とは何となくウマが合うとは思っていたのだけれど、実はこのブログを知ってもらうまで、仕事の範疇を超えてコミュニケーションをとることはなかった。結果としてはブログの功徳と呼びたくなる、僕にとってのご褒美である。

さらにこの方が語ってくれたひとことも頂戴したコピー同様に有り難い贈り物だった。彼はこのブログについて「書き込みをしている方々とのやりとりを拝見していると、その方たちと中山さんの共鳴が感じられる。それは共感というのではなくて、共鳴と呼ぶのがふさわしいものだと思う」と言葉をかけてくださったのだ。続いて彼が説明してくれたところによれば、「共感」という言葉には一方的な情報の発信とそれに対する感化といったニュアンスがあるのに対し、「共鳴」は一つの音に対して、その音自体にはない、あらたな反応、展開、新しい広がりといったニュアンスがあるということ。

僕自身は、そうした観点でこのブログを考えてみたことはなかったのだけれど、たしかに言われてみると、自分がブログに誘われ続けている最大の誘因は、コメントやトラックバックという形で、自分一人では決して得ることができない、知恵や、思想や、勇気に触れられる、それによって思いがけなかった響きを獲得できるということにこそある。このブログに対する言葉としては、ちょっと持ちあげられすぎのような気がして、そのときにはくすぐったいような気分があったのだけれど、彼の言葉はEmmausさん(id:Emmaus)が「ブログ力」と呼んでいるものの内実を別の角度から言い当てていると思えてきた。同時に、あらためて、いつも様々なメッセージをくださる皆さんに御礼を申し上げたくなった。