ラ・ヴォーチェ・オルフィカ第23回公演『スペイン音楽の500年』

バロック以前のヨーロッパ音楽をフィールドにする合唱団「ラ・ヴォーチェ・オルフィカ」と古楽器アンサンブル「アントネッロ」によるスペイン音楽のコンサートを東京カテドラル聖マリア大聖堂で聴いた。Emmausさんお薦めのコンサート。Emmausさんはかつて、この「ラ・ヴォーチェ・オルフィカ」に参加して歌ったご経験がおありなのである。

http://d.hatena.ne.jp/Emmaus/20080220

聖マリア大聖堂は、昨日も書いたとおり、20代前半に朝比奈隆を聴いたことがあるが、訪れるのはそれ以来。丹下健三のオリジナリティに満ちたモダンを絵に描いたような作品だが、コンクリートが剥き出しの寒々しさは代々木の体育館同様、いまひとつなじめない。冬の教会内部は数多くの聴衆に埋まった後にも、広い空間の隅々から寒さが染み出してくるようで、コートを羽織ったままの鑑賞である。

しかし、視覚上の寒々しさとはまるで正反対に、大聖堂の大きな空間を満たして鳴り響く音楽は熱く豊かだった。スペイン音楽はもちろん、ルネサンス以前の音楽などちゃんと聴いたことがない人間にとって、13世紀から18世紀のスペインの音を聴かせるこの世の企みは大いなる未知の世界。コンサートの後にどんな感想を抱いて帰ることになるのか、さっぱり検討もつかないコンサートに向かうのは、保守的な音楽鑑賞家と言ってよい自分にとってはとても希なことだ。それに、まったく知識がない演奏家、団体の演奏会に行くのもいつ以来のことか。Emmausさんのお薦めがなければ、おそらくずっと知ることがなかった世界だったのではないかと思う。

13世紀の音楽なんて訓詁の学を講義されるようなことにならないのかと、どんな音やメロディが出てくるのかまるで想像が働かない者として心配がなかったわけではない。13世紀と言えば、歌舞伎や能が生まれた頃だろと思う。もし、それに類する音楽、つまり聞き手にある程度の素養や心構えが必要な音楽が出てきたら、あっという間に万歳(お手上げ)だよなと、そんな想像がかすめて通り過ぎた。ところがどっこい、コンサートの冒頭からすっと頭に入るメロディが、指揮者であり、コルネットとリコーダーの名手である濱田芳道さんの笛から紡ぎ出され、そのとたんに杞憂は吹っ飛び、愉楽の2時間がはじまった。

最初に演奏された『聖マリアのカンティガ集』は当時の俗謡をもとに作られたものらしく、パンフレットには「この曲集はイタリアの「ラウダ」、ドイツの「カルミナ・ブラーナ」と並ぶ、13世紀のスタンダード・ナンバーでした」と綴られている。実際、耳にするメロディラインは、オルフの『カルミナ・ブラーナ』で聴き知ったそれと非常に近しいスタイル、動きが頻出し、人々の哀愁と躍動感とを率直に伝えるもの。身構えていたら、敵は易々と警戒線を突破し、次の瞬間に虜になる。そんな気分を味わうことになった。

曲は時代を下り、アンサンブルに洗練の度合いを重ねていくが、このコンサートでは最後まで親しみやすいメロディラインがとぎれることがなかった。まったく“古い”音楽を聴いている気がしないのは、どうやら、鳴り響くメロディが、換骨奪胎されて現代の音の匠たちたの商業作品にさんざんに取り入れられているからというのも理由の一つかもしれない。「あっ、こういうメロディって、実はこのころのスペインの音楽なんだ!」という感じ。理屈はさておき、「古い音楽」という先入観が消えて、ただ自分にとっては新しい音楽がここでいま作られて鳴っているという感覚に捉えられていたと言ってもよいのではないか。

アンサンブルについては、本当にこうした古楽の演奏を何も知らないので、驚くことばかり。リーダーの濱田芳道さんが吹いていたコルネットという楽器は、同じ名前のトランペットもどきの楽器しか知らない僕には聴くのが初めて。リード楽器なのだろうが、輝かしい硬質で大きな音で鳴り響くのにびっくりした。これに比べて当時のトランペットの音質、音量のおとなしいこと。合唱団は、地声に近い発声や、伸びやかな歌い方を巧みに使い分けながら曲に表情をつけていく。何しろ初めて聴くもので、どこまでがこの種の音楽の常套なのか、どこからこの団体のオリジナルなのかは分からないが、その演奏が確かな技術と豊かなイマジネーションで作り上げられていたことは疑いない。濱田芳道さんという人は素晴らしい音楽家だ。

終演後に合唱団のお一人にお友達らしい人が「ほんとに楽しかった!」と語りかけていたが、その言葉はまさにコンサートの性格を言い当てていたように思える。今さらながら、音楽好きの方に聴いて欲しかったと心底思ったコンサートである。お誘いいただいたEmmausさんには感謝の気持ちでいっぱい。