良い読者

大江健三郎ノーベル文学賞を受賞後、数年間筆をとらなかった小説の執筆を再開した以降の作品をまとめて読む読書を続けている。『取り替え子(チェンジリング)』を最初に読んだときには、自分自身が精神的な穴ぼこに中に落ち込んでいて、ちゃんとした読書ができない頃だったし、当時はそもそも大江健三郎にはうんざりという気分もあり、最後まで読み通した覚えがない。ところが、最新刊である『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』を読んだのをきっかけに、『さようなら、私の本よ!』、『取り替え子(チェンジリング)』、『自分の木の下で』、『憂い顔の童子』と読み進めて、これまで読んでいなかった、新しい世紀に入ってからの大江作品の深まりに圧倒され続けている。

『憂い顔の童子』の中で登場人物であるアメリカ人の研究者、ローズさんが語る次の台詞は、僕の今の気持ちにぴったりと重なっていると感じられる。

私はね、古義人、『ドン・キホーテ』の「良い読者」になりたいと望んできました。始めからある作者、ある作品の「良い読者」でいることはできるとは思わないから。ナボコフだって、ハーヴァードの講義の準備をするまで、『ドン・キホーテ』の「良い読者」じゃなかったんです。
ところが、ずっとひとつの本を読んでいると、やはり特別な瞬間の訪れがあるんだわ。そして、「よい読者」になっている。子供の私は、ゴッド・ブレス・ユー! と大人にいわれてもよくわからなかった。けれども、なにものかによってブレスされたと感じる瞬間が、本を読んでいる時にある、と気付いたんです。
大江健三郎『憂い顔の童子』第十五章 失われた子供 345ページ)

自分以外の人間は自分ではないのだから、どんなに気が合うと思える相手でも、お互いの考えを突き詰めていくと、どこかの時点で自分とは異なる相手を発見する。若い頃は、そのことが残念であったり、悲しかったり、憤ったりということもあるが、人はそれぞれ、違うのが当たり前であることを観念するように実感した後には、自分とは異なる自我、異なる趣味、異なる意見を携えた相手に共感する瞬間があることにこそ、大いなる励ましを感じる。それこそ「ゴッド・ブレス・ユー!」ということかもしれない。


憂い顔の童子 (講談社文庫)

憂い顔の童子 (講談社文庫)