ドレスデン国立歌劇場の日本ツアーブログ雑感

クラシック音楽ファンのBさんが、ドレスデン国立歌劇場のサイトに日本ツアーの模様を伝えるブログが掲載されているのでご覧になったら、とメールで教えてくれた。早速行ってみた。歌劇場の広報スタッフの人が綴った滞日日記である。こういう有名人ではない、でもいい情報を持っている職業人のコンテンツが読めるのは、ウェブとブログの時代の恩恵だ。とても面白かった。

僕はあまりオペラに感心がないのでこのサイトを読んで知った次第だが、同歌劇場は11月10日の神奈川県民ホールのワグナーの『タンホイザー』を皮切りにリヒャルト=シュトラウスの『薔薇の騎士』、『サロメ』とご当地もの3本立て、さらにオーケストラ・コンサートを含め11月26日まで10の東京・横浜公演がいま開催のまっただ中なのである。歌劇場の引っ越し公演というのは、巨大な物量を搬送する物入りなイベントだ。ホームページを読むと、今回の場合、指揮者3人、オケのメンバー120人、合唱団90人、ソリスト30人、その他、衣装係、小物係、舞台装置などなど裏方さん50人がぞろぞろとやってくる。これに巨大な舞台装置や衣装、小道具などしめて70トン分をコンテナーに詰めてもってくる。なんとも、けったいなほどに労力を必要とする催しものなのだ。一等席が5万数千円とべらぼうな額になるのも、こういう話を聞くと分からないではない。

ドイツ語のテキストを辞書も繰りながら読んで、いくつかのまったく異なる視点から感想を得た。一つめは、すでに書いたとおり、ウェブにはいろいろな情報が存在しているなということにあらためて思いをいたしたこと。当たり前すぎる話なのだが、最近はけっこう勝手知ったるサイトやブログを巡回する傾向が強く、まるで新聞や雑誌のようにWebと接していたことに気がついた。これでは宝の持ち腐れ、道具の可能性を十分に活用しているとは言えない。と、これは自分自身に対する率直な反省。

二つめは相変わらずドイツと日本は遠いなあということ。これは両方向ともにそうだと思うのだが、ドイツの情報はほとんど日本の大衆には伝わらないし、その逆も同様。インターネットの時代になって道ができても意がないところに情報の流れはできない。この歌劇場ブログを書いているおばさんのコメントを読むと、その部分がういういしい異国の印象となって表れているところが面白い。歌劇場の最初の公演地は横浜。公演場所である神奈川県民ホールの隣に建つホテル・ニュー・グランドにこの方は投宿するのだが、若い女学生がみんなそろって膝上のミニスカートだったり、夜はいちゃつくカップルだらけだったり、予想に反しお巡りさんをふくめて人々がにこやかだったり、といろいろなことに驚いている。山下公園のことが「ホテルの前にある小さな山下公園」と記述されていたが、あれは横浜市民の日常感覚では「大きな山下公園」なのにと思ってしまった。たしかに欧米の都市からやってきた人にとっては「小さな山下公園」だろう。

三つ目は、職業人の勤勉さ、仕事ぶりに対する好意のまなざしの存在。引っ越し公演の舞台作りは日独の専門家の共同作業である。彼女はパートナーである日本のプロフェッショナルの仕事を何度も褒めている。また、休みの早朝に築地の市場に出かけていって、そこでも細分化された様々な仕事を効率的にこなす人々に賞賛を送っている。これらはどれもドイツ人向けにドイツ語で書かれた記述であって、日本人向けのお世辞は混入していない。そこには、マイスター制度の伝統を持ち、職人仕事に対する理解が深いドイツ人の、仕事をする人々に対する暖かく的確な視線だけがある。日本にもこういう思想が遍在していれば、社会はよくなるのになあと、ちょっと考えたりする。

そんな、こんなで、読めば読むほどにとりとめのない話がなかなか面白い。公演の最中、お客さんが身じろぎもせずに舞台に集中していることに驚く下りなど、僕が子供の頃から外来の演奏家が指摘していたことに、やはり現代の音楽関係者も同じように驚いている。「こんな聴衆みたことない」と。外からの視線は、普段われわれが見えない自分を映す鏡であることをあらためて確認するのである。


■ドレスデン国立歌劇場の日本ツアーブログ