立花隆著『ぼくはこんな本を読んできた』

立花隆著『ぼくはこんな本を読んできた』が、立ち寄ったあるオフィスの本棚に並んでいた。横には「差し上げますので、ご自由にお持ちください」と書いた張り紙がある。仕事が終わった後、なんとなく手が伸びて、その姿勢のまま最初の十数ページを読んだ。奥付を見ると初版が1995年12月。浅原逮捕の半年後だ。立花隆は今の梅田望夫さんや茂木健一郎さんのような役回りを我々若者に対して担っていたのかなと、なんだか懐かしくなった。
九つ年上のいとこに「お前は立花隆はきっと大好きだろうと思うけど、あんなのはいんちきだから」と言われてかちんと来たのを覚えているが、いつ頃のことだろう。そう、思い起こせばあれもオーム事件の直後のことだ。浅原逮捕の番組に立花が出演していたのを一緒に見たときに違いない。だとすれば、90年代半ば。

博覧強記の文化人、知識人としての立花の得ていたポジションは、いまや、例えば脳の専門家でありながら芸術や文学にも食指を伸ばす茂木健一郎や、ITの最前線をウォッチしている技術者やビジネスマンらの人々に取って代わられている。『田中角栄研究』や『猿学の現在』、『脳死』などの著作にはかなりはまったが、インターネットや脳が知の最前線になって彼の特異性はしぼんで見えるようになってしまった。公然と「とんでもさん」よばわりされるようにもなった。たしかに、『猿学の現在』を読んだときに、彼が統計的検定のことを説明する文章を読んで「?」と思ったこともある。

時代のアイコンとしての立花隆は、いつの間にか終わってしまった。ただ、どの時代にも彼のような知識欲の先導者といったタイプの人々がいて、若者の心を掴み、牽引し、いつか乗り越えられていく運命を甘受してきたのだろう。時代は切なくめぐって行く。