ニューヨークからのメール

ニューヨークに5月からお住まいのKさんから思いがけないメールを頂戴した。僕が先日ブログに書いたルツェルン祝祭管弦楽団のコンサートをお聴きになり、その感想を送ってくださったのだ。「ルツェルン ブーレーズ ロバートソン」で検索して『横浜逍遙亭』のアバド交代の記事に辿り着いたと教えていただいた。

様々な方とメッセージを交換しあうのはブログの楽しみだが、僕の場合、音楽の記事に反応して頂ける方がとても多いことにあらためて気が付いた。音楽に関しては、興味がない人にとってはまったくどうでもいいようなことしか書いていないので、ためらいつつのエントリーであることが少なくないのだが、それだけに見知らぬどなたかに響いたと知るのはうれしい。今回は自分にとって懐かしいカーネギーホールのコンサートにいらした方のメッセージというのもまたうれしい。Kさん、またニューヨークのコンサート情報教えてください。今度はよろしければコメント欄にもお願いします。

さて、そのコンサートだが、Kさんによればロバートソンの第九は今ひとつだったよう。最近はやりの軽快な第九だったそうで、ベーレンライター版の演奏だと思うが、ロジャー・ノリントンを思い出してくださいとKさんは書いていた。ただ「アンサンブルは乱れ、独唱は音程をはずし、ハッキリ言って散々でした」とお書きになっていたので、実態は推して知るべしだ。
両日ともにお聴きになったKさんによれば、これに対してブーレーズが指揮したマーラーの3番はゆったりとしたすばらしい演奏だったらしい。

実は両方の演奏ともにすでにニューヨーク・タイムズの演奏評が読める。Kさんががっかりなさっていたロバートソン指揮の第九は同紙によればべた褒めである。当方おっとりと笑ってしまった。何故かというと、アメリカ人が代役で振るコンサートは、演奏の善し悪しはさておき、絶対にニューヨーク・タイムズは褒めるだろうと先回りして予想していたからだ。何度もそれに近い記事を読まされた経験があるのだ。日本人が小澤征爾を褒めるのと同じで、アメリカ人は自国の演奏会にとても甘い(松井秀喜に甘いのと同じと言ってももちろんいい)。アートは、学者でもない限り、客観的な善し悪しを議論する必要はなくて、一にも二にも、それに接する個人が楽しめさえすれば文句はない。でも、よいしょ記事は、なんというか、新聞の良識あるいは筆者の力量をちらと疑うね。


■Orchestra Adjusts to Guest Baton (New York Times 2007年10月5日)

■Be Meticulous With Mahler, and Sentiment Will Follow (New York Times 2007年10月8日)