蝦夷地巡礼

三上さんと北海道旅行に関するやりとりをさせて頂くなか「蝦夷地巡礼」ということばを送っていただいたことに刺激を受けていたら、当の三上さんが「エゾ」にこだわったエントリーをお書きになったので、びっくりしてしまった。

■地名の記憶:「カイ」の謎 (『三上のブログ』2007年10月15日)


実は私もちょっとだけわか勉強をした。佐々木馨著「アイヌと「日本」」(2001年 山川出版)を読んだのだ。同書によると、日本書紀の時代から大和朝廷の権力が及ばぬ北方の土地を「蝦夷国」あるいは「日高見国」と呼び、そこに住まう民を「蝦夷」(エミシ)と呼んでいた。エミシはその後「エビス」と、土地は「狄地(テキチ)」「胡地(エビスノチ)」と呼ばれるようになる。それが13世紀に「夷嶋(エゾガシマ)」、「エゾ」に変化するのだそうだ。「夷(エゾ)」という言葉が最初に歴史に登場するのは「今昔物語集」(11〜12世紀成立)だという。


そもそもエミシは朝廷に服従しない民を著し、東北以北が現在の北海道もろともエミシ、その後エビスと呼称される人々の住む「道奥(みちのく)」として存在していた。「アイヌと「日本」」によれば、したがって朝廷の北方征服が進むにつれ、徐々にエビスは津軽まで北進する。これが11世紀頃だという。そうしたエミシ、エビスと和国との境界をなす地域が「道奥(みちのく)」なのだ。「道奥(みちのく)」の人々は鎌倉時代を通じて次第に日本人としてのアイデンティティを獲得していき、彼らはさらにアイヌの人々と出会うことによって、日本人としてのアイデンティティをさらに強固にする……。


そこで思い出したのだ。昨年、生まれて初めて仙台に行って、その際偶然に東北歴史博物館を見学した。そのはなしをこんな風に書いた。

■初めての仙台(2006年10月14日)

あの時の、初めての仙台で思いがけず得た歴史観と今回の北海道の旅がつながっていたのを知ってちょっとした感慨が湧いた。「アイヌと「日本」」で知ったばかりだったアイヌの聖地、二風谷(にぶたに)にも三上さんは連れて行ってくださる予定だ。