あちら側から響く音

今朝の通勤電車はますますお盆の到来を感じさせる雰囲気だった。まだすかすかというわけにはいかないが、「おやこんなところで」と思うような駅で席が空き、思いがけず座れてしまったりする。正月とともにお盆の存在は、日本の産業経済や人々の生活をしっかりと律しているというわけだ。七夕も、節分も、昔に比べると影が薄くなるばかりなのに、なんだか不思議な気がする。我が実家は墓参りなどの習慣を持たない罰当たりな家だが、世間全般を見渡せば、この時期に実家に帰り、墓参りをする方々はいまも少なくないのだろう。


罰当たりな言いぐさに聞こえるかも知れないが、僕の墓参りはCDショップ参りである。これなら毎月やっている。ポップス系の曲を聴いている方にとっては当たらないかもしれないけれど、クラシックの売り場というのは遠い昔に死んだ人類の遺産を再生する熱意が集められている場所であり、我々の過去を想起する機会を提供するという意味で墓地のようなものだし、それらを演奏する演奏家ですらすでにあちら側に引っ越してしまった人が大勢。ここ数年、昔の録音がどんどん市場に流出する傾向に拍車がかかっており、指揮者で言えば、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、クレンペラーベーム、ヴァント、マタチッチなどなど大家といわれた人たちの、これまで発表されていなかった戦後の録音がぞろぞろと出てくる。CD屋のクラシック売り場は、過去の記憶がますます濃厚になっている。商業主義のただ中で、僕は過去を現在として追体験する。墓参りというのは、つまりそういうことではないのかと言ったら、やはりお前は罰当たりだと言われてしまうかな。