誠実の行方

『mmpoloの日記』の「誠実の行方」を読む。面白く、いたく想像力を刺激された。

■誠実の行方、詩「天山」から(『mmpoloの日記』2007年8月8日)


僕の父親は戦中派の古い人間で、mmpoloさんがお書きになっているように「誠実なことが大切」に類する昔ながらの道徳的価値を口にすることが多い人間だ。誠実に、喜び勇んで戦争に行ったわが父親は後期のビルマ戦線に送られる。お人好しで根が単純な父親は、憧れの兵隊さんになって戦地に赴いたものの、戦備はほとんどないに等しく、物量に勝る英国軍に蹴散らされ、逃げ回りにいったようなものだったらしい。体験者の手記で「地獄の」と形容されるビルマ戦線では、敵側には戦車も飛行機もあるが、こちらは弾丸の配給すらままならず丸腰に近い有様。行動は敵機にさとられない夜。逃げ隠れた穴の上を敵の戦車が走り、敵機からは「こことここは我々がすでに押さえていて逃げられません。日本の兵隊さん、早く投降しなさい」という日本語のビラがまかれる。


背嚢や銃器など数十キロの装備は雨を吸って重たくなり、雨期のジャングルを一日数十キロ行軍するのは、まさに地獄だったようだ。体力のない者はことごとく命を落とし、気がふれてしまうもの、手榴弾で自らの命を処する者後を絶たず。親父のいた中隊だか小隊だかは百数十人中生き残った者は二十数名だったそうだ。子どもの頃、遙か昔にそんな話を聞いたことがある。父親は今月83歳を迎えて存命中だが、年に一度帰省する際にビルマの話を尋ねても、あまり話をしたがらない。なんとなくという感じで口を濁されてしまう。去年もけっきょくそうだった。だから、やる気ばかりを振りかざし、戦略や手練手管が馬鹿のように欠けていた当時の日本軍首脳のお粗末さは、世の出版物を通して知ったものだ。


田舎育ちで、毎日沖の島まで何キロも遠泳するような子どもだった父親は、体力だけは人並み外れていたようで、その蓄えた体力が誠実に彼の命を守ってくれたのだった。しかし、誠実さだけで何事かを成すのは、やはり少々難しい。