子どもで遊ぶ

昨日、会社に出かけてその日の内に処理しておいた方がよい仕事をやっつけた後、休みをもらって息子の高校野球の試合に駆けつけた。朝からふったりやんだりだった雨は試合開始後勢いを増す様子で、とても野球日和とは言えなかったが、球場は対戦する2校の子どもたちと応援団の熱気に包まれており、濡れ鼠になる不快感を忘れて祝祭の空間の虜になった。


試合は息子の学校が4点差を小刻みに追いかけ、8回ツーアウトランナーなしから粘りに粘って試合を振り出しに戻した後、一進一退の緊張感溢れる延長14回を戦った末に6対5で劇的なサヨナラ勝ち。2回戦にコマを進めることができた。60歳になる熱血監督は「一回戦突破が今年の目標」と親に対しては正直に語っていたようなので、弱小チームとしては大きな壁と目標を乗り越えたことになる。子どもたちは3回戦で昨年度の優勝校と当たるのを目標にしているようだが、そこまでいけるかどうか。しばらくは彼らの動向が楽しみだ。


子どもが小さい頃は子どもと遊んだものだが、彼らが大きくなるにつれ、子どもで遊ぶようになった。「と」でつながる子どもは遊んであげる対象だが、「で」でつながる子どもはこちらが遊んでもらう対象だ。でも子どもで遊ぶお父さんはとても少ない。昨日も、もともと相手校の半分しか部員がおらず少し寂しめの応援席にはこのチームのコーチを務めているお一方がユニフォームとメガホンの勇ましさで声をからしていた以外父親の姿は誰もおらず、残りはすべてお母さんだった。相手校にはそれなりにいらしていたようだが、それでも絶対数は小さい。自分がそうだからよく分かるが、高校生ぐらいの子供を持つお父さんは忙しいのだ。会社組織の中にいる人は上から下からガスレンジのようにプレッシャーの炎で炙られ、あるいは炙り返し、日々の責任を全うすることに血道を上げている。自営の人のきつさはそれ以上だろう。とすれば、子どもの野球なんぞとうてい構っていられないということになるのだと思う。


考えてみれば、それは我々の上の世代がやってきた家庭を顧みないお父さん像そのものだ。趣味や表層的なライフスタイルなるものは変われども日常的なコミュニケーションのスタイルは変わりそうで変わらないものだなと思う。そこで、またアメリカ駐在時のことを思い出すのだが、子どもたちを通わせてもらった公立の小学校では学芸会などのイベントがあるごとにお父さんが熱心に顔を出していた。僕の場合、その経験が引き金になって「子どもで遊ぶ」下地ができたのは間違いない。学校側も心得たもので、午前中の早い時間に催し物を開催したりもする。ひとしきり子どもたちの演技や歌に喝采をした後に、背広とネクタイ姿で参観していたお父さんたちはニューヨークの職場に散っていくのだ。あるとき、学校の講堂の椅子に座って会が始まるのを待っていたら隣に座ったうちの奥さんが周囲の人に分からない日本語で教えてくれた。

「あなたの真後ろに座っている人ってNBC放送の副社長さんなんだって」


アメリカの場合、副社長という肩書きは日本と違って部長さん程度に大盤振る舞いされるので、その人が「代表取締役副社長」クラスの大物かどうかは分からないが、そういうクラスの人が住まっている地域ではあった。あながち間違いではないのだろう。超競争社会のアメリカのエリートビジネスマンは「子どもで遊ぶ」ことを放棄しない人が多い。やればできるのだから、やるべきだと思った。家族で話題にできる記憶を積み重ねることに比肩する幸福はなかなかないのだから。ましてや「子どもで遊ぶ」ことができるのはさすがに高校生までなのだし。他の人が働いているときに一日休むと電子メールの返事だけでも馬鹿にならないのは事実ではあるんですけどね。