吉本隆明を読んで学んだことは

僕が吉本隆明さんを読んで自分なりに理解したことは、簡単に言うとつまりこういうことだ。人は自分にとって便益を得るために行為を行う。働いたり、喋ったり、表現したりする。そして、それがその人にとって便益であることの意味は、その人が所属している集団の文脈に左右される。


つまるところ、「えっ、この人なんでこんなこと言うんだろう」と思うことがあったら、その人がどんな文脈でその発言をしたかを追跡してみる。その文脈が依って立つところのものの考え方がノーであれば、それは断固、異議申し立てをすべきだろう。だが、よくよく聞いてみれば、そいつは実は口が悪いだけ、表現力が貧弱なだけで、けっこう自分と同じようなことを考えている奴かもしれないということもありえるわけだ。今回の柳沢発言問題のように、おやっと思う言葉を、「こうあるべき」正義の文脈に当てはめて邪悪であると糾弾するのは、全体主義者の行いである。本人は「ごめんなさい、失言でした」と誤っている。いや、「おまえ、そんな言い方はないだろう」と主張するまではよいとしても、「おまえ、そんなことを言うんだから、おまえの持っている思想は邪悪に違いない」と決めつけて、だから審議拒否だのとなる成り行きはけっこう恐い。言葉狩りだ。


「そういう表現を使う奴は切腹しろ」と金切り声を上げるメディアや政党に対しては、あぁまたかと思う程度でもあるのだが、困ったものだなと思うのは僕の周囲の若い人たちの反応の中に「思ったことを正直に言ったら馬鹿を見るのが分からない馬鹿な政治家だな。あんなこと言わなければいいのに。黙ってりゃいいのに」という類の意見が聞かれることだ。ともかく、権力を持つ者の前では本当のことは心にしまって黙って従うという姿勢。愚痴は飲み屋で。ほんとはこれが最低なのではないかと思う。


けっきょく、前回と同じ事を書いているが、rairakkuさんやfuzzyさんのコメントに見られるような余裕と客観的な視線を大多数の市民が持っていると信じたいものだ。