正義を語る人は気持ち悪い

大学に入ったときに高校の先輩に勧められて読書サークルに入った。出身高校の先輩が何人かいるということで、まぁいいかなあと軽いノリで入会したが長続きしなかった。そこでは僕のような一年生のくせに生意気な口をきくヤツを心の底から気にくわない年長者がおり、こちらはこちらでしっかり生意気で折れないので、だんだん楽しみのサークル活動ではなくなってきてしまった。


あれはどこでどんな風にどこの組織とつながっていたのか、ちゃんと理解していなかったし、理解したくもなかったのでいまに至るまでその正体は分からないままなのだが、夏休みには毎朝国旗掲揚をする宿舎で小林秀雄の話を聞きに行く合宿などがあって、『本居宣長』なんかを皆で輪読したりしていた。その雰囲気のなかに生理的に受け付けられない、ひたすら気持ちが悪いものが感じられた。最終的にはみんな一緒という暗黙の了解だ。そんなら読書会なんかするなよなと当時の僕は内心思った。


そのへんなサークル活動ばかりでなく、大学のキャンパスには実にいろんな人達がいて、左の党派の学生が一生懸命勧誘するし、宗教団体の青年組織の連中が口説きに来るし、その他、いろんな連中が我が組織へ来たれと口泡飛ばして説得を試みにくる。今から思うと、当時の若者にはまだ理想の社会という思想がちゃんと残っていて、まじめにそんなことを考えていたんだと思う。考えるだけならいいが、そうした連中はどこにも所属していない僕のような人間をお仲間にしたくてしょうがない。カモに見えるらしくて、よく声をかけられた。やめときゃいいのに、よく相手をしたものだ。でも、喫茶店でコーヒー一杯を前にながながと議論をしていると、けっきょく気持ち悪さばかりが募ってきてしかたなかった。何が嫌かって、やつらはいつも2,3人で徒党を組んでやってくる。あれが信用ならないのだ。徒党を組んで正義を喋るン人組というのはインチキだというのが、そのときに刻印された経験則というやつで、これは誰になんと言われようと撤回できないのだなあ。


今回の柳沢大臣の発言に対するバッシングは気持ち悪い。ああいうのを見ると、なんだ、けっきょくなんにも変わってないじゃんと思う。右も左も、革命も、ポストモダンも、なーにもなくて土着の日本だけが相変わらずそこにありましたとさといいたくなるような、なんとも言えない麗しの和の空間が見える。騒いでいるのは野党とマスコミだけというのならいいのだけど、頼むから若者が見せかけの正義を背負って立ち上がらないで欲しいと、マジに思ったりする。