初めての仙台

新しい土地を踏むのは、それがどこであれ人の心を静かにかき乱す出来事だ。生まれて初めての仙台は杜の都というステレオタイプのイメージを裏切らない緑に包まれた街。いや、こういう言い方は正確ではなくて、今までほとんど知識らしい知識を持たずにきた仙台に降り立ち、そのたたずまいをタクシーの中から眺めながら、「緑の多い、きれいな街だなあ」と見とれていただけというのが正解。常に迂闊な僕は、到着後ほぼ一日を過ぎて仙台が杜の都と呼ばれていることを思い出したのだ。呆れられたり、笑われたりするような話だけれど、本当だから仕方がない。清楚な都会を取り囲む海と山の存在は、都市の立地として理想的に感じられる。こんな街に育てば、大いにお国自慢をしたくなるだろうなと率直に思う。


観光目的で着たわけではないのに、幸運にも仙台市の東隣、多賀城市にある東北歴史博物館を見学することができた。かつて律令政府の時代に、西の大宰府と対を成す東の政治・軍事の拠点であった多賀城が置かれていた土地に作られた、まだ新しい素敵な博物館である。駆け足で展示を見た。いや、限られた時間の中でほとんど展示品の間を歩いただけだが、よくできた歴史の記述と視覚的インパクトはとても大きい。律令の時代には東北地方のネイティブの住民たちは「蝦夷(えみし)」と呼ばれ、時の政府である大和朝廷からは完全に外国人扱いされていたという話や、その蝦夷の親分だった伊治公呰麻呂による多賀城焼き討ち、さらに「帝国の逆襲」であるところの坂上田村麻呂による東北平定までの出来事は、考古学的な成果の上に綿密に作られた現地ならではの充実の展示で、心に残るものがあった。たかが博物館の展示というなかれ。そこには、僕のようなよそ者にとってすら、誰もが思い起こす戊辰戦争とも重ね合わせてみずにはおれない、その土地の視点で語られる歴史があった。


仙台駅に戻り、街行く人々を眺めながら、この人たちはそうした歴史的な共通体験から形作られ言葉となって伝承されるいくばくかの意識と多くの無意識を心に刻みながら生きている人たちなのだ、世の中ってそういう風にできているんだと思い至り、すげえと感じ入ってしまった。目の前を楽しそうにおしゃべりしながら過ぎていく21世紀の女子高生だって、そうにちがいないのだと思うと、あらためて社会の多様性のそこの深さに対し、気おされるような、敬虔な気持ちを抱かざるを得なくなった。関心の矛先は言葉として浮上していない無意識の重層的な堆積に、ある。そして、何の因果か、結果としてそこをほじくることになる極めて個人的な創造の熱意に。


さすがに笑われるのが怖くてここには書く度胸がないいくつもの感想を含めて、僕の仙台理解、東北理解はきわめて一面的であるし、誤解のかたまりであってもなんら不思議はない。そもそも一日、二日体験して人にわかることには限りがある。初めての国も、初めての街も、誤解の仕方が重要だと思っている。


仕事を終えて帰宅の予定だったが、急に気が変わって新幹線のチケットを変更、ホテルをとってもう一日この街に寝泊りすることにする。そんなわけで、このエントリーをホテルの一室で書いた次第です。