カフェ・ボルベックの消滅

今日は、「こんなおしゃべり、誰にすることもなく終わるだろうな」と思っていた、とても小さな話をさせていただくことにする。


90年代の初めに大いに話題になった科学ドキュメンタリーに、アインシュタインの生涯とその業績を中心に相対性理論量子力学という20世紀の新しい物理学の流れを分かりやすく紹介した『アインシュタイン・ロマン』というNHKの番組があった。アインシュタインの足跡をたどる現地取材の他、当時はまだ新しかったデジタル映像がふんだんに使われ、また東京大森にあるドイツ学園のかわいらしいドイツ人の子供たちをアインシュタインやその友人たちに見立てた寸劇がとても印象的で、その番組を観た僕は生まれて初めて相対性理論アインシュタインへの興味を俄然かき立てられたものだ。


僕が視聴者としてもっとも魅せられたのが、大学のポストに恵まれず、ベルンの特許局の下級官吏という立場に甘んじていたアインシュタインが、大学の友人だったモーリス・ソロヴィーヌ、コンラット・ハビヒト、後に最初の妻となるミレーバ・マリッチらとたいそうな名前の勉強会「アカデミー・オリンピア」をつくり、“奇跡の年”1905年に特殊相対性理論を作り上げるサクセス・ストーリーだった。この特殊相対性理論の構築にいたる映像はたいへん美しく、相対性理論にいたるアインシュタインの天才のひらめきに感銘を受けると同時に、アカデミー・オリンピアの友情物語に情動をも刺激させる作りになっていた。友人らに囲まれた美しい青春の一ページの典型的な表現に映像は昇華していた。


その、アインシュタインと仲間たちの青春をかけた議論の舞台となっていたのが「カフェ・ボルベック」。スイスの首都ベルンの街にあるカフェである。番組の中でこのカフェ・ボルベックは意識的に重要な地位を与えられ、カフェ・ボルベックでの友人たちとの議論こそが相対性理論誕生の揺りかごだったというメッセージが番組の間中発信されていた。NHKによる「カフェ・ボルベックの青春」が数多くの視聴者に愛されたであろうことは、次の例を見ても一目瞭然だ。この『アインシュタインロマン』に触発されたミュージカルがあり、その中には『カフェ・ボルベック』と題するナンバーさえあるのだ。

http://www.musical-za.com/COMPANY/archives/archives24.htm


それから数ヶ月後。お調子者の僕は、アインシュタインをめぐる一般向けの図書を何冊か読むことになり、その過程でNHK出版から刊行された『アインシュタイン・ロマン』も手に取ることになった。そこで僕が見つけたのが一つの写真、アインシュタインの世紀の創造の舞台となり、今も当時のままに佇む「カフェ・ボルベック」の写真だった。そして、である。そこには窓際に掲げられた店名のアルファベットが、こうはっきりと読みとれたのだ。

「カフェ・ボルヴェルク」(Cafe Bollwerk)

NHKが犯したミスはとても初歩的なものだった。店名はドイツ文字で表示されている。ご存じの方は思い起こしていただきたいが、ドイツ語の活字体(Gotik)は慣れないととても読みづらい。小文字のhはkと、そしてrはcと、嫌がらせのようによく似ている。NHKのスタッフは「Bollwerk」を「Bollweck」と読み間違えたのだ。取材に行ったのなら、ちゃんと音を把握していただろうに、どうしてそういうことになったのだろうと不思議な気持ちになるのだけど、ともかく。


頭の中で反芻していた「カフェ・ボルベック」という言葉がその瞬間に消滅したことに僕は狼狽した。サッカーの応援にいったら「ナカターッ」ではなく「ナガターッ」と叫べと諭された気分。あるいは球場で連呼していた「新庄!」が「志ん生!」の間違いだったと正された気分。こんな肩すかしってないよと思った。固有名詞が一度限りの強い印象と結びついてしまったあとで、その名前が間違いでしたと訂正されることが辛いというのがよく分かった。名前って大切ですよ。


時はめぐってインターネットの時代。昨日、僕は久しぶりにこのエピソードを思い出し、グーグルを「カフェ・ボルベック」で検索して上記のミュージカルを見つけ、さらに「Cafe Bollwerk」を検索していくつかのドイツ語の文章を見つけた。


その一つがこれ。ドイツの公共ラジオ放送のサイトが「アインシュタインの遺産」という2005年放送の番組に合わせた記事を掲載している、その一節から引く。

Zwei Strassen weiter: eine einfache, schmucklose Kneipe, die auch tagsueber gut besucht ist. Einstein verbrachte viel Zeit in der Brasserie Bollwerk, die heute Cafe Bollwerk heist. In seinen Mittagspausen, aber auch nach der Arbeit kehrte er hier ein, mit Kollegen und Freunden, und nutzte diese Zeit fur intensive Diskussionen. Mit einer kleinen Gruppe grundete Einstein die "Akademie Olympia", eine Art philosophischen Zirkel, der Texte von Geistesgrosen wie Hume, Mach und Poincare besprach - bis spaet in die Nacht.

(通りを二つ分先に進むと、そこに一軒の目立たぬ質素な飲食店があり、昼間のあいだもずっと賑わっている。アインシュタインは、今日「カフェ・ボルヴェルク」と呼ばれているこの「ブラッセリー・ボルヴェルク」で多くの時を過ごした。昼休みのあいだ、また仕事が終わってからも、彼は同僚や友人たちとここに戻ってきて、これらの時間を使って熱心な議論を行った。アインシュタインは一種の哲学サークルである“アカデミー・オリンピア”という名の小さなグループを設立し、ヒュームやマッハ、ポアンカレといった知の巨人たちのテキストについて夜遅くまで語り合ったのだった。)

http://www.dradio.de/dlf/sendungen/wib/359807/

この記事によれば、「カフェ・ボルヴェルク」は現在の名称であって、アインシュタインが入りびたった当時は「ブラッセリー・ボルヴェルク」だったのだ。ついでに思いついて「Cafe Bollweck」でも検索してみたら、こんな結果になった。

http://www.google.com/search?hl=ja&q=Cafe+Bollweck&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

NHKも罪作りだよなとは思うが、そもそもこんな話、書いてよかったのかどうか。