未来への視線


梅田望夫さんの新刊『シリコンバレー精神−グーグルを生む精神風土』を読む。

この本は2001年に新潮社から出た『シリコンバレーは私をどう変えたか−起業の聖地での知的格闘記』に「文庫本まえがき」と「文庫のための長いあとがき−シリコンバレー精神で生きる」を付け加えたものである。だから、普通の意味では単行本の文庫本化、つまりごく一般的な出版の価値連鎖にしたがった二次生産活動と考えることが出来る。僕も実はそう考えていた。『シリコンバレーは私をどう変えたか』が出た後にOutLogicの杉本さんにWeb上であったかメールでだったか、勧められたが結局読まなかったこともあり、この際だからちょっと読ませていただこうか、と手に取った次第。ところが、一読しての明確な印象を信じるならば、この本は普通の単行本の文庫本化とは少し違う。

何を言いたいかというと、実はこの本は「文庫のための長いあとがき」を読ませるための「『文庫のための長いあとがき』のための長いまえがき」(本文のことです)を伴う新しい著作なのだということ。少し極端なものの言い方かもしれないが、そんな風に感じられる。

これは、90年代のシリコンバレーを梅田さん自身が一緒に走りながら語った記録である本文自体が、すでに賞味期限が切れて面白くないという意味ではない。IT革命に沸くシリコンバレーの記録としても、その中で自らをかけて戦う若き経営者の記録としても読み応えのある一冊になっている。ジャーナリストの傍観者的視線とは明確に異なる当事者としての日本人の視線で書かれたシリコンバレーに関する著作は他に類例がないのではないだろうか。

しかし、それらはこの著者が今の時点でもっとも伝えたいことではない。「あとがき」の中で繰り返し語られているように、「未来を創造するために執拗に何かをし続ける『狂気にも近い営み』を、面白がり楽しむ心の在り様」(同書p276)である“シリコンバレー精神”が具体的にどのようなものであるのかを、本文の中で描かれる梅田さん本人を含めた登場人物の言動として描き出し、それを通じて、いま現在、本著を読む読者の問題として提示することにこそ、梅田さんの大きな関心がある。梅田さんの関心は未来にしかないのだ。

このことを「あとがき」にはっきりと示すことで、この本は読者にとって単なる2001年刊行の単行本の文庫本化ではなくなっているというのが僕の受け取り方。

こうした梅田さんの考え方は、著述の方法論にも如実に反映されている。「あとがき」のなかの「『シリコンバレー精神』でモノを書く」で、梅田さんは「本書は『シリコンバレー精神』でモノを書くのはどういうことなのかを、常に意識しながら書いた。」と述べ、次のように続ける。

本書は「限られた情報と能力で、限られた時間内に拙いながらも何かを判断しつづけ、その判断に基づいて」書いたものの集積だ。ある時期のシリコンバレーという過去を、未来という『高み』から振り返って一つのまとまった物語に書きあがけたものではない。(p299)

いま私たちは、ネットの真価のおかげで、誰もがカジュアルに情報を発信できる「総表現社会」とでも言うべき時代を生きている。いったん発表した「判断や断定」でも、あとになって、その判断に誤りがあったことに気付いたり、状況が大きく変化したことを認識すれば、考えが変わったことをリアルタイムで発信していくことができる。(中略)ネット時代を生きるこれからの筆者とは、一冊の本に静的にまとめられたコンテンツだけで評価されるのではなく、そういう長期的な営みに対して評価されるべきものなのである。(p301)

そんな挑戦的な未来への視線の飛ばし方に触発されることが、本書の大きな魅力。もしあなたが仮に僕と同様40代のおじさんだったとしても、きっとシリコンバレー進出を狙う若者たちだけに向けたアジテーションや自慢話に過ぎないと、狭い度量で食わず嫌いを決め込むと損をするかも。

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)