オシム賛



ここ数年、テレビ中継でジェフユナイテッド千葉の試合があるとJリーグの試合を観るというパターンが定着していた。あの弱いチームがオシムが来たときからガンガン走りまくり、観ている者のアドレナリンを引き出すサッカーをする。どんくさいJリーグの試合の中で異彩を放ちだした。当時、一年でジェフの実態に呆れて引き受けないのではないかと言われていた就任2年目には、ただでさえ人材がいない貧乏チームから茶野、村井という日本代表選手を可哀想にジュビロ磐田に引き抜かれてしまう。せっかくいい監督が来て面白くなったのにと残念がっていたら、その2年目は素材が悪くなったのにもかかわらず負けない。負けないだけでなく、いっそう面白いサッカーをする。僕はオシムファンになった。『オシムの言葉』という、とんでもなくセンスのない装丁の本を書店で見つけたときには思わず立ち読みでほぼすべてを読んでしまった。著者さん、出版社さん、ごめんなさい。


だから、オシムさんが日本代表監督に就任したのはとても嬉しい。サッカーなんてろくに知らない僕すらそう思うぐらいだから、多くのサッカーファンが彼の就任を喜んだだろう。今日の試合は、まだ千葉のサッカーに比べてしまうと隔靴掻痒の感が強いが、主義主張、目指すところが見えているだけに、ファンは落ち着いて、辛抱強くそのサッカーが実現されるのを待つはずだ。


トルシエ人気の中核には彼の論理的なサッカー観とそれと密接不可分なはっきりして決してぶれない自己主張にあったと思うが、戦術的な中身はまったく違えども同じ姿勢と思想をオシムは持っている。さらにトルシエの人気には彼に理想の父親の姿を見た若いファンの支持があった。これは僕の解釈ではなく、トルシエ自身が著書の中で述べている話。日本人は自分に父親を見ていると、そうトルシエは語った。その話を読んで、なんて頭のよくて嫌な奴だろうと思ったものだ。優柔不断なお父さんだったジーコの後に来たオシムは、トルシエ以上に理想の頑固親父のイメージを携えている。しかもトルシエ以上に理論的で挑戦的なサッカーをする。日本代表への支持が広まらないわけがない。