その日、柏手を打って

瓦礫があちこちに積み重なった戦後のウィーンに知人を訪ねたら、当人は先日なくなったと伝えられ途方に暮れる。金沢赴任の夫が行方知れずになって東京から調査に出向く女性。そんな小説が今の時代に描けるかと問われたたら、できなくはないが相当の筆力が著者に必要とされると答えるしかない。インターネットや監視カメラの網の目をかいくぐって一般人が不意に姿を隠すのが容易ではない時代に我々は生きている。と思いきや、ある日、突然に行方をくらます人の数は少なくないとテレビや新聞の報道は言う。夜逃げ、駆け落ち、神隠し。どこか、言葉の届かない薄暮の闇の向こうに落ちていくような、神様や妖怪との道連れを選ぶような、昔ながらの逃避のイメージとは異なり、自分の意志で誰かがいなくなることは、デジタルの時代のこの社会に仕組まれた負の機能がもたらす乾いた必然のように感じられ、そこで思考が止まる。