先が見えないいまこの場所にて

鳩山総理大臣が辞める。政争の話ばかりが盛り上がる。政策の話が新聞やテレビから簡単に飛んでしまい、なにがなんだか。

そんなことを考えながら、コーヒーの上からクリームを垂らす。焦茶色に濁った紙コップの表面にコーヒークリームが白いまだら模様を作るのを眺めていると、『ウルトラQ』がかすかに頭をよぎる。世代の効果だなと思う。

ウルトラQ』の主人公、航空会社のパイロットの万城目淳とか、毎朝新報の由利ちゃんとか、仕事をしているのか、怪獣と遊ぶのが仕事なのかという描かれ方だったが、あの人たちはまじめに仕事のことを考えていたのかな。考えなくても、それ相応の仕事はきちんとあり、職に就けば仕事とキャリアが半ば自動的に動いた時代に、絵空事の怪獣物語は子供の心にもすっと入ってきた。日常を壊す御しがたいパワー、日常をうっちゃりたい夢としての何かに人は憧れる。そうしたあこがれが強固に作用する高度経済成長があの頃にはあったのだなと思う。情報通信技術の進展の先にリアルとヴァーチャルという言葉が生まれ、僕らはいまこの場所にはいない互いの情報を瞬時に共有するSF的な世界に住むようにはなったけれど、それに例えば絵空事の世界としてのマンガだとか、その種のサブカルチャーの世界は当時とは比べものにならないほど規模も複雑さも増したけれど、それらに対峙するいまここ自体が危ういという感覚が、絵空事やその先にある夢を十分に受け止める気分を萎えさせる。そんなことをふと考える。先日、歩いた安達太良山の霧のなかみたいなだなと、うすぼんやりとしていた山影や道標を思い浮かべる。