「My Open Archive」雑感

坂東さんの「My Open Archive」(http://www.myopenarchive.org/)については、ずっと「?(これってなに?)」という感じだった。分からないままにコメントも批評もできないという思いから黙っていた。僕が口出しする分野の話じゃないし、だとすれば分からない状況を楽しむのも一興である。だから、これまで坂東さん本人と何度か会った際にも「My Open Archive」の話には触れないままできた。

オープン・アクセスに関係のある人たちのセミナーで坂東さんの話を聞いて面白かったのは、「なんだ、利害関係者とおぼしき人たちの反応もオレとほとんど同じじゃん」と気がついたことで、誰もこいつが何なのかがよく分からない、あるいは誰もこいつをサムシングだとは思っていないというのが「My Open Archive」が現在置かれている位置であるように見える。であるが故に、これは可能性の萌芽をはらんでいることを示唆しているのかも知れないと直感した次第。“破壊的技術”になるかもしれないと思った次第。これからは「My Open Archive」の展開について、もう少し真面目にウォッチしていこうかと思い始めている。

ともかく面白かったのは、「My Open Archive」が学会や大学で情報提供に携わっている方からみれば(あるいは僕の目から見ても)ズレていることである。同時に、ウェブを活用した情報提供の仕組みというレイヤーで見た場合には、既存の紙ベースの情報提供、ウェブベースの情報提供手段に比べて進んでいるし、どんどん進もうとしている。このズレがもっと大きくなったときに何が起きるのかを見てみたいという気がする。

いちばん分からないのは「My Open Archive」チームがほんとうのところ何をしようとしているのかだ。ほんとうにターゲットは「論文」なのだろうか。世の中に存在している、論文を世に問う仕組みと共存共栄する棲み分けの世界を目指しているのだろうか。それとも、「Win-Win」の関係を保持しながら、システムとしての「My Open Archive」(とその仲間)が論文普及のヴィークルの基盤になるような夢を追っているのだろうか。あるいは、「論文」というのは話の鳥羽口で、つまり、既存マス媒体に対するブログのような存在、新しい手段による新しい情報発信層の胚胎を促そうとしているのだろうか。「論文」という言葉の換骨奪胎をもくろんでいるのだろうか。査読を行い、権威を与える学会誌のような仕組みは、それが経済的にもっとも効率的な方法であるかぎり社会にとって必要だし、既存の組織もすぐに消えてなくなることはないから、その人たちとの関係をどう築くのかは外野にとって興味津々である。

というわけで、今日も「坂東さん、がんばってね」が僕のメッセージ。