三上さんが“爺”でたまるか

この前の駄文に対し、三上さんから有り難くもトラックバックを頂いたが、そこには「叱られた」などと書いてあるではないか。

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20080724/1216901474

滅相もない。人聞き悪い。大三上センセに向かって“叱る”なんて、私めのような小者には天地がひっくり返りでもしなきゃできませんぜ。知らない人が読んだらなんと思うか。冷や汗です。キャッチーなタイトルはなしにしましょうよ。

と書いておいてなんだが、乾かぬ舌で一つ文句を言っておきたいのである(繰り返しになるけど、“叱る”なんて大それたことをしているわけではありませんぜ)。大人(たいじん)の三上せんせは、最近、ブログ上でやたらと人に向かって“ちゃん”付けをしたり、シンプル語の系統かと推量される“メーシコーカン”などと叫びだしたりして、ポップな方向に向けて実に絶好調なんだが、ひとつどうしてもなじめないことがある。何かというと、例の、ご自身を“爺”よばわりするレトリックね。ついには“手拭爺”などというキャッチフレーズまで出てきて、次に何を口走るが分からん状況だが、“爺”はないんじゃないかと僕は思うわけ。

ご本人に会った人なら誰もが感じるに違いないが、柔らかな知性のパワーとリベラルなお人柄が一種のオーラを発散する三上さんは“爺”という言葉が醸し出すイメージからは180度対極にある方。実年齢50歳を過ぎたばかりの三上さんが“爺”でたまるものですか。それは75歳でエベレスト登頂に挑む三浦雄一郎や70歳を超えていまだにヨットをやめない堀江謙一のような人たちに失礼でもあるというのが僕の見解。年齢に関係なく、常に心が高みを目指す人には“爺”というやさしい響きは似合わないんじゃないかというのが僕の自然な思い。

いいですか皆さん、絶対にだまされちゃいけませんよ。あれは、昔、ときの総理大臣・佐藤栄作が「栄ちゃんと呼ばれたい」と言ったのと一緒、昔話の王子様が乞食になってみたかったのと一緒で、孤高の立場に立たされている者の変身願望でしかないのですからね。

札幌でリアル三上と初対面となるはずの坂東さん(id:keitabando)や田中さん(id:pho)、kany1120(id:kany1120)さんたちには「三上さんのどのあたりが爺だったか」、後日ブログ上でしっかりと真実を暴いてもらいたいもんです。