井伏鱒二の『山椒魚』同様、『桜の樹の下には』は文学好きなら誰もが知っている。
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
(「青空文庫」より)
開高健が梶井基次郎のファンだったというつながりで、開高ファンの僕は梶井を読んだ。梶井は賞賛をすることも、小馬鹿にすることも、ともにやさしい文学者だ。世界と自分とが雄々しく対峙する青春の文学。どんな時代にも、若者は傷つきやすく、残酷で、独善的で、自信家だという事実を『桜の樹の下には」や『檸檬』は示している。『檸檬』を読んだり、村上春樹の『風の歌を聴け』を読んだりすると、若者にしかできない仕事があると痛切に思う。それは、端的に言えば、世界を変えることだ。最近ブログを通じて知り合った20代、30代前半の人たちにも同じ若者の感性は生きている。
昨日の神奈川新聞にゴミのような小さな短針が掲載されていた。舞岡公園という、我が家のすぐそばにあって、僕が朝の散歩をしたり、写真を撮ったりしている場所があるのだが、そこで初老男性の死体が見つかったという記事だった。雑木林の中に横たわっていた死体を見つけたのは公園管理事務所の職員で、死後一、二日を経ていたと記事は伝えていた。舞岡公園は、昔ながらの横浜の田園風景を残した公園。田と雑木林から成り、この辺りではバードウォッチングの名所として知られている。春には山桜が可憐な花を咲かせ、ウグイスがさえずる。
「今の時代、驚くことでもないでしょ。捨てるにはちょうどよさそうな場所だし」と女房は平然と皮肉を言うが、僕はまだ現実を現実として信じていないところがあるらしく、びっくりして何度も新聞に目をやってしまった。死体が転がっていたというだけでは、地方新聞ですら、地域版の端に申し訳程度の記事にするのがせいぜいというのが今の世の中なのだ。梶井基次郎のアイロニーなど通じる時代ではない。
- 作者: 梶井基次郎
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