ネットとリアルの境界

また、「実名ブログ」に復帰したが、実名をさらしたからといってリアルの生活をネットに持ち込むのかと言えば、それはまた別の話だ。素の僕のことを知っている人ならご承知のように、ここで書いていることは僕のリアルな社会生活とはほとんど切れている。意志的に切っているというのが正しい言い方になるだろう。

だから、『雪泥狼爪』というお洒落なタイトルのブログを主宰するyukioinoさんが次のように言うとき、実名を公開しないというスタイルを貫くyukioinoさんと、実名で書いている僕とは、境界をはさんで対峙しているわけではなく、実は境界の同じ側にいるという感覚を強く持つことになる。

自分がプロフィール欄に実名や仕事について書くどころか、「なにものでもない」と記しているのはネットとリアルを遮断しているからだ。仕事から離れている今、ここに書くのは社会的に無益な個人的趣味だけだ。
(『雪泥狼爪』2008年5月8日)

三上さんが「本当の境界はどこにあるのか」という文章の中で書いているこのフレーズに拍手。

人それぞれ、色んな事情があって、抱えるものも違い、だから、境界付けも人それぞれでいい。「こうしよう、ああしよう」ならまだしも、「こうすべきだ、ああすべきだ」はご免被りたい。
『三上のブログ』2008年5月10日)

その上でもう一つ感想を付け加えさせていただくと、yukioinoさんが最近プロフィールの欄に掲げている「なにものでもない」というフレーズの格好良さにまいっている。「そのことば、先にほしかった」と思っているほど。僕はyukioinoさんのエントリーを読んで、いつも「なにものかである」yukioinoさんの濃厚な気配に刺激を受けているのだが、そこで言う「なにもの」というのは、言うまでもなく現世での社会的な身分だとか役割のことを指しているわけではない。そうしたものの向こう側にくっきりと見えるなにものかの気配。ブログは、お互いそれがなければ市中に紛れて決して出会うことがない「なにものか」との出会いの場だ。