島は小さな日本か、中小企業か

ゴールデンウイーク中に訪れた初島で、地元出身のガイドさんは「初島には悪い人はいません」と言った。江戸時代から41世帯という世帯数をまったく変えることなく、社会構造の基本を守り通すと「悪い人はいません」と自信をもって言い切ることができる社会ができあがる。そういうことらしい。
「悪い人がいない」という言葉を聞いて、いまから三十年前の日本を思い出した。当時は、いまのように凶悪事件が新聞、テレビを連日賑わすことはまだなかったはず。ベンダサンは「安全と水がただだと思っている日本」を素材に『日本人とユダヤ人』を書いた。僕らが子供の頃はまだ日本はそんな時代だった。

しかし、安定と安全を確保するために島の住民は相当の代償を払っている。世帯数を増やすことは土地や水が限られた離島では共倒れの危険性を増すことにつながる。そこで、次男坊以降は島を出ることを余儀なくされる。水の管理は共同で厳格になされる。きっとよそ者にはみえないところで数多くのしきたりや規制が存在しているだろう。しかし、そこに住まう人々は、我々観光客に対してとても気持ちのよい態度で接してくれる。観光と海の幸に恵まれ、島には活気があるように見える。

それを見て初島は、かつての日本を小さくしたような存在かもしれないと思った。こうした生活を見たり、体験すれば、今の日本の改善につながる何かが見つかるかもしれないなどともちらと考えた。しかし、農村社会学や歳社会学が政策の改善につながる実効性のある理論化をなしえたのかとふりかえってみると、そうした思いつきにはおそらく限界がある。ただ、個人を律する規範意識をゆさぶるだけの力がこうした場所にはある。それは間違いない。

僕は現地で日本の社会の原型を思い描いたのだったが、むしろ、会社組織とのアナロジーで島の運営を見る方が面白いかもしれないと思い至ったりもした。41世帯で人数はたった240名。観光と漁業を事業とする中小企業だ。伊勢エビやサザエなどの高級海産資源を共同で管理し、それでいながら島に大きなリゾートホテルを迎え、破綻することなく経営を成り立たせている。しかし、この中小企業は人数が増えることには極端に敏感で、次男、三男はクビを切られる運命にある。島の敷地のかなりの部分がリゾートホテルなのだが、いったい、保守的なはずの島の中で、誰がそんな思い切った意志決定をしたのだろう。その恩恵はどのように島民に分け与えられているのだろう、などと考えると興味がわくことだらけだ。

僕はこうした経営ごとがまるで駄目な性格なだけに、どこにも目先の利く人間、現状をふまえて将来が読もうとする人間がいるものだと感心するばかりである。それにしても、長男に生まれなかった不運のために島を離れた人々のうち、何人が“よい人”のまま一生を送るだろう。何人がさらなる不運にぶつかって“悪い人”の範疇に落ちていくのだろう。システムの善し悪しは、人の人生を大いに左右する。