実名ブログ

やっと写真を処理できるパワーがあるパソコンが修理から戻ってきて写真ブログも再開できた。と思ったら、昨日、帰宅したばかりの僕の目の前で長男が東芝リブレットをテーブルから落っことし、めでたく故障。ったく、トホホである。またお金が飛ぶ。不便な時間が始まる。

それはともかくとして。
このブログにお越し頂いているcaesarkatuzhitoさんがハンドルネームから実名の山崎カズヒトさんに切り替えてブログを続けると最新のエントリーで宣言をなされた。

■色々迷ったが、決めた(『Fere libenter homines id quod volunt credunt』2008年3月10日)


山崎さんのエントリーに対してもそうコメントさせていただのだが、実名の情報発信仲間が増えるのはとても嬉しい。僕を含めてふつうの日本人には誹謗中傷に対して抵抗力が強いとは言いかねる部分があるし、そもそもブログを書くこと自体、出る杭となってはいけない伝統的日本の中では反則行為なのかもしれず、実名にしよーぜキャンペーンを安易に推進することは憚られるところがある。伝統的に「いけないこと」である以上に、皆さんがお感じであるだろうように、悲しいかな日本の社会はどんどん凶暴になり始めており、実名を披瀝したことによって大小含めてどんなリスクが及ぶか、僕にはとうてい想像できない部分があるのは間違いない。だから、みんな実名にしましょうと言い切る勇気は僕にはない。

でも、実名ブログは個が社会に埋没する傾向がある日本の社会に風穴を開ける実質的な社会運動の、その末端に連なる小さな一歩ではないかという感じ方もしているので、僕自身は今回山崎さんが実名での情報発信に踏み切ってくれたことには拍手を送りたい。そうしなきゃいけないという類のものではないし、そうしないことを批判する態度をとるつもりは決してないことは言うまでもないけれど。僕自身、本物の市民運動や社会運動として実名ブログをやっているわけではない。でも、このブログを通じておつきあいをしている人たちには実名か、実質的に実名と同様の方は少なくないな。

山崎カズヒトさんが言及している海部美知さんの一文や、これもちょうど昨日の通勤途中に読んだ『ウェブ時代 5つの定理』の匿名・実名の議論に関する記述は、この問題についてとても品のよいアプローチをしている。梅田さんは、作家の平野啓一郎さんとの対談集である『ウェブ人間論』のときには、匿名批判の立場に立つ平野啓一郎さんを相手に、むしろどっちもありでいいのではないかという意見を表明していたが、ここにきて旗幟を鮮明にしもう少し実名の持つ効用を考えてみてはどうだろうというスタンスでの記述に変化している。

梅田さんがこのトピックを語る際に枕にしていたSNSフェースブック (Facebook)』だが、しばらく前から長男が使い始め、お互いの引っ越しやメールアドレス変更などでここ数年音信がなかったアメリカ滞在時の親友をこの『フェースブック』で見つけだした。それ以来、また連絡を取り合って楽しんでいるようだ。アメリカ人の友達なら『フェースブック』で実名を検索し、昔の関係を復活させることができると気がついたのは立派だ。これも典型的な実名の効用だろう。僕に関して言うと、実名ブログをやっていてネットとリアルが分かれていない実利はないわけではないが、むしろ私が私としてものを言っているということに由来する、精神的な自己満足の方が大きいかもしれない。とりあえず、それが一番重要だったりするのかな。